れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

2024/3/15 新幹線総合車両センターなど

前回の記事の続きです。

 

om08amagi.hatenablog.com

 

仙台レールセンターを見学した後は仙台駅に戻って昼食。新名物と噂のマーボー焼きそばをチョイスしました。

 

撮るものも撮ったのでこの後はブックオフ→ポポンデッタという何しに仙台まで来たのかよくわからない行程となったのですが、ブックオフの店内で知人が突如行きたかったところを思い出したので急遽移動。あおば通駅の発車メロディに感動しつつ仙台~岩切と乗り継いで利府線へ。仙台レールセンターを眺めながら終点の利府駅まで乗車。そこから少し歩きまして…、

 

やって来ました新幹線総合車両センターです。といっても車両センターの端にある区画で、入口で受付をすれば保存車両がある広場と建屋内にある「PRコーナー」に入ることができます。

 

目的は953形 "STAR21" 、1992年に登場した高速試験車両です。愛称の"STAR21" は Superior Train for Advanced Railway toward the 21st century の略。この時点でもうカッコいいですが…、

 

なんといってもこのロゴマークです。オシャレ過ぎる。その下には425km/h走行の達成を記念したステッカーも取り付けられています。

 

日本の鉄道車両として初めて時速400キロの大台を突破したSTAR21。車両としての性能はもちろんのこと、軌道や電化設備などの改良も大きな要因であったと言います。現在の新幹線の高速運転の礎となった車両です。

 

この新幹線総合車両センターには連接台車を有する953形5両のうち2両が保存されており、通常構造の952形4両のうち先頭車両が滋賀県米原市にある鉄道総合技術研究所風洞技術センターにて保存されています。

 

そんなSTAR21の隣にもう1つ新幹線試験車両が保存されています。新幹線961形電車です。国鉄が1973年に開発した新幹線用の試作電車で、開発当初は東海道・山陽新幹線での試験走行に使用されました。1979年からは小山試験線で走行試験を行い、当時としては最速記録となる319km/hでの走行を達成。東北新幹線開業を目前に控えた1982年5月にその役目を終え、この仙台の地で保存されることとなりました。

 

試験車両としての実績もそうなのですが、東海道・山陽新幹線東北新幹線の両方を走行した、歴史的に見ても極めて珍しい車両となっています。現役当時は0系と同じ青い帯を纏っており、この新幹線総合車両センターに来てから200系と同じ塗装に変更されたようです。そんなわけで、塗装の剥がれた部分から現役当時の青い塗装を見ることができます。

 

車内も開放されていたので見学。運転台に入ることもできます。

 

 

 

客席には様々な形式の椅子が置かれていました。

 

そんな2つの試験車両の隣にはおなじみ200系の姿。トップナンバーE1編成の東京方先頭車221-1と食堂車237-1の2両が保存されています。これもまた大変に貴重な車両です。

 

続いて建屋内にあるPRコーナーへ。写真や部品の展示はもちろん、鉄道模型レイアウトなどもありなかなかの充実度なのですが…、

 

最も心を揺さぶられたのはこちら。奥から「200系やまびこ」「E2系やまびこ」「E4系Maxやまびこ号」のミニチュア。東北新幹線の「正しい」歴史がここに示されています。

 

また、プラレールレイアウトのケースにはE2系+E3系のいわゆるJR編成やE4系などのイラストが貼り付けられており、こちらもまた「「正しい」」歴史が示されています。

 

このほか、これまで数え切れないほどの子ども達を鉄の道に誘った伝説の絵本「のりもの100点」シリーズもきっちりと本棚に備えられており、たいへんに素晴らしい施設となっています。個人的な願いとしてはこのままリニューアルなどせずに、新幹線の「「「正しい」」」歴史を語り継いでいってほしいと思います。

 

ところで帰り際に気付いたのですが、広場にあるこの遊具のような何か、よく見たら新幹線の「鼻」でした。遊び心と新幹線への愛を感じられる施設です。

 

 

この後は再び利府駅へ。コミュニティーセンターが併設されているとはいえ、支線の終端駅としてはかなり立派な駅舎です。

 

というのも、かつて利府線は支線などではなく、れっきとした東北本線の一部分でした。

 

かつてはここから品井沼まで線路が続いていたのですが、勾配が仇となり新たに開通した塩釜経由のいわゆる海線にメインルートを譲る形となり、最終的に利府~岩切間のみが残ったのでした。

 

ここから来た道を戻るように仙台駅へと向かい、さらに1駅進んで長町駅へ。

 

駅先で並びを撮ってから当初の予定通りポポンデッタ仙台長町店へ。お店のある商業施設 THE MALL のあまりのデカさに驚愕。

 

そして仙台市営地下鉄で再び仙台駅に戻り、今度は仙石線多賀城へ。2日間にわたる旅の〆は牛タン、素晴らしい思い出になりました。

 

仙台駅に戻るとコンコースがやけにざわついていたので何事かと思ったら、強風の影響で在来線のダイヤが大幅に乱れているとのこと。ちょろっとホームに降りてみると…、

 

2976M 普通 梁川  AB900系AB-3+AB-1編成 仙台

 

18:21発の阿武隈急行線直通列車が21時の時点でもまだ抑止されていました。しかも普段は5番線から発車するところを6番線に変更されていました。

 

幸い新幹線は概ね時刻通りの運転だったので予定通りの列車に乗りまして、一路大宮へ。これにて2日間の旅が終了しました。ご一緒しました中央快速さん、たいへんにお疲れさまでした。

 

以上です。

 

2024/3/15 仙台レールセンター

前回の記事の続きです。

 

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陸前小野から仙石東北ラインに乗りまして、その速達性に感動しつつ岩切駅で下車。駅を出て少し歩き、岩切こ線橋を目指します。

 

やって来ました。仙台レールセンターです。何度か横は通過しましたが、訪問はこれが初めてです。

 

ちょうど小牛田のロンキヤ LT-4編成が留置されていました。チキ車の入換に使用するWD-H18Aの姿も見えます。

 

さらに奥には積込用の門型クレーンがずらりと並んでおり、その下には長尺レールが山積みになっています。

 

左側の小さな門型クレーンは定尺レール用と思われます。仙台埠頭から発送されたいわゆる「岩切工臨」のレールはここで降ろされているようです。

 

しばらく眺めているといきなりE8系が出区していきました。この日はダイヤ改正前日、運用開始に向けた回送でしょうか…?

 

というのも、仙台レールセンターは新幹線総合車両センターと隣接しており、この広大な鉄道用地の大半を新幹線の施設が占めています。そのほか、仙台総合訓練センターにも隣接しており、訓練車の719系の姿も見られます。

 

また、西側は仙台新幹線保線技術センターと隣接しており、やはり新幹線に係る施設が大部分を占めていることがわかります。

 

この4つの施設は全て線路が繋がっており、諸々の制約はあれど理論上は行き来することが可能となっています。また、一部の線路は標準軌狭軌の3線軌条になっており、在来線で輸送してきたレールを新幹線用の保線車両に積込み、新幹線総合車両センターから本線への連絡線を経由して各所に輸送するということを行っています。

 

そんなわけで、いわゆる「仙台レールセンター」としての区画は、この広大な敷地のほんの一部分ということになります。正直なところ各施設の境界もよくわかりませんが…。

 

ちなみに新幹線は連絡線を介してこの巨大な施設と接続していますが、在来線はいわゆる利府線東北本線利府支線)の線路と接続しています。一番東側の線路は普通に電車が行き来する線路というわけです。

 

岩切駅の下り方から仙台レールセンター方面を望むとこのような状態になっています。ここから大きく左にカーブし、岩切こ線橋を潜って仙台レールセンター・新幹線総合車両センターの脇をひたすら進み、終点の利府駅へと至ります。

 

利府線の電車は当然岩切駅の出発信号機の現示に従って発車していきますが、仙台レールセンターに入る際は入換信号機によって入線することになります。利府線用の1・2番線と側線(下5)の3線から行き来ができるようです。

 

余談ですが、利府線から来た列車は東北本線の上り方面にしか抜けることができないので、仙台レールセンターから東北本線の下り方面にレールを発送する際は、一旦東北本線を上ってどこかで折り返す必要があります。機関車+チキ車の時代は東仙台信号場で折り返していたようですが、キヤE195系の運用開始後は仙台駅で折り返し、北上していきます。

 

 

以上、仙台レールセンターの訪問記でした。この後は利府線新幹線総合車両センター(の端っこ)を目指します。

 

つづく。

 

2024/3/15 仙石線

前回の記事の続きです。

 

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翌日は少し早起きして仙石線へ。時刻表を見間違えて1時間早い仙石東北ラインに乗ったことに現地でようやく気付く程度には寝不足でしたが、1時間遅く来るよりは断然マシということで。

 

621S 普通 石巻  205系M2編成 陸前小野~鹿妻

 

現地に着くとすぐに「マンガッタンライナーⅡ」が通過。宮城県出身の漫画家 石ノ森章太郎氏の作品のキャラクターが全面にラッピングされています。

 

2003年に登場した「マンガッタンライナー」。当初は205系M8編成の1本のみでしたが、2008年にM2編成が「マンガッタンライナーⅡ」として運行を開始、2022年には最新鋭のHB-E120形C-1・C-2編成も仲間入りし、現在は4編成体制となっています。

 

また、かつて石巻線を走ったキハ48形にも「マンガッタンライナー」が存在していました。2013年3月から走り始めたこのラッピング車両。東日本大震災により石巻に来られなくなった仙石線の「マンガッタンライナー」の代わりに復興のシンボルを務め上げ、2015年5月30日の仙石線全線復旧を見届ける形で引退となりました。運行終了の2ヶ月ほど前にたまたま撮影していたようです。

 

 

5531D 快速 石巻  HB-E210系C-3+C-*編成 陸前小野~鹿妻

 

続いてHB-E210系が通過。青天下で撮影したのは甲種輸送以来です。

 

721S 普通 石巻  205系M12編成 陸前小野~鹿妻

 

そして石巻行きの205系。数少ないダブルパンタのM12編成でした。初めて地下区間以外で撮影しましたが、本当にかっこいいです。

 

5533D 快速 石巻  HB-E210系C-8+C-*編成 陸前小野~鹿妻

 

1時間早く来たので立ち位置を変えてもう1本ずつ撮影。首振りも様になります。

 

821S 普通 石巻  205系M6編成 陸前小野~鹿妻

 

そして205系。本当にかっこいいです。乗ってよし、撮ってよし。本当に素晴らしい車両です。

 

これだけ撮れればもう言うことなしということで撤収。

 

駅に戻る途中、遠方信号機を見かけたので少し観察してきました。

 

なかなか東京ではお目にかかる機会の少ない遠方信号機。通常の信号機と異なり背板が四角いのですぐに見分けがつきます。

 

中継信号機と同じ従属信号機の仲間ですが、中継信号機が主信号機の現示をそのまま予告しているのに対し、遠方信号機は主信号機(基本的に場内信号機)より1つ下位(緩い)のものを現示します(ただし主信号機がG(進行)のときは遠方信号機の現示もG)。例えば場内信号機がR(停止)であれば遠方信号機の現示はY(注意)になります。そんなわけで遠方信号機自体が停止を現示することはないので、赤信号が存在しないという世にも不思議な信号機となっています。

 

中継信号機も遠方信号機も主信号機の見通しが悪い箇所に設置されますが、遠方信号機は自動閉塞式以外の運転方、あるいは特殊自動閉塞方式(交換駅間を1閉塞としてシステムを簡略化した方式・仙石線 東塩釜石巻がこれを採用している)の区間に設置されます。あくまでも従属信号機なので遠方信号機自体に防護区間はありませんが、現示に対する速度制限はあるという、これまた不思議な信号機です。

 

写真の遠方信号機は陸前小野駅の場内信号機に従属しています。左奥に見える2つの場内信号機のうち左側の主本線に対するものが進行を現示すれば遠方信号機も進行を現示し、右側の副本線に対するものが注意を現示すれば遠方信号機はYG(減速)を現示します。

 

そんな信号機を横目に歩きつつ、陸前小野駅へ。

 

先ほど撮影したM12編成が副本線に入っていました。

 

東日本大震災により甚大な被害を受けた仙石線。特にこの陸前小野から陸前大塚に至る区間は海岸線に近接していたこともあり、津波によって壊滅的な被害を受けました。

 

陸前小野駅自体は震災翌年の2012年3月に復旧しましたが、ここから陸前大塚までの区間は大規模なルート変更が行われ、復旧に時間を要しました。そして2015年5月30日、仙石線最後の不通区間となっていた陸前小野~高城町間が復旧し、全線での運転を再開しました。

 

かつては陸前小野駅を出て大きく左手にカーブして旧野蒜駅・旧東名駅を通って陸前大塚駅に至るというルートでしたが、鳴瀬川橋梁の先から緩やかな左カーブを経て山間を貫き、陸前大塚へ至るルートに変更されました。陸前小野駅のホームからも新しい高架区間を見ることができました。

 

2020年3月の常磐線 富岡~浪江間の復旧を以て東日本大震災による鉄道の不通区間は全て解消となりましたが、仙石線の旧線区間は一部の設備が被災当時のまま残されており、震災遺構として自然災害の恐ろしさを後世に語り継いでいます。

 

 

この後は仙石東北ラインに乗り込み一路岩切へ。仙台レールセンターを目指します。

 

つづく。

 

2024/3/14 【旅せよ平日】秋田・仙台紀行

2023年12月、衝撃的な早割切符の発売がアナウンスされました。その名も「旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス」。2024年2月14日から3月14日までの1ヶ月間、平日限定10,000円でJR東日本全線・青い森鉄道いわて銀河鉄道三陸鉄道北越急行えちごトキめき鉄道線(直江津〜新井)が乗り放題、加えて新幹線および特急列車の指定席が2回まで乗車可能という化け物のような切符です。

 

そんな「キュン♥パス」の最終日に10年来の知人と秋田・仙台へ行ってきました。

 


 

「キュン♥パス」の効果は凄まじく、朝の下りの新幹線は連日軒並み満席状態だったわけですが、計画性のなさに定評のある我々は2月末にようやく具体的な行程を練り始めるという始末で、ようやくえきねっとを開いた頃には午前中の「こまち」は全て満員御礼。諦めかけた矢先に「こまち5号」の盛岡から先あれば空席があることに気付き、とりあえず秋田までの足は確保しました。結局、盛岡までは「やまびこ51号」の自由席争奪戦に賭けるという作戦で落ち着きました。

 

とは言ったものの、春休み真っ只中+キュン♥パス最終日の自由席争奪戦なんぞ地獄絵図になることは容易に想像がつきます。どうにかならんものかとえきねっとを眺めていると、なんと1本前の「はやぶさ1号」に空席が出現し、音速で確保。土壇場で盛岡までの足も確保することができました。

 


 

そして迎えた当日。10年来の知人と合流して東京駅から「はやぶさ1号」に乗り込みます。東京の時点で既に立ち席が出ていましたが、目立った混乱はなく順調に旅がスタート。途中、福島駅での上り列車待ちで遅れていた「やまびこ51号」に仙台で追い付きましたが、こちらの列車も仙台の時点でもかなりの混雑ぶりでした。古川まで先行する「やまびこ51号」の遅延と車内非常通報装置の鳴動があり若干の遅れをもって盛岡駅に到着。ここから先は「こまち5号」の指定席を取っているので約1時間の乗り継ぎ時間が発生しましたが、「在来線ホームの発車メロディ(water crown)の音質があまりにもアナウンスステーション」などと爆笑しているうちにあっという間に1時間が経過。駅弁を買い込み「こまち5号」で秋田を目指します。2000年代初頭のプラレールについて激論を交わしつつ、雪景色の秋田県を突き進みます。秋葉検定でおなじみの大曲駅で進行方向が変わり、後ろ向きで秋田駅へと滑り込み。2017年8月以来の秋田訪問となりました。

 

到着後はとりあえずお手軽な上飯島駅先へ。

 

4061 EF510-502+コキ 上飯島

 

まず大阪からの4061列車。青い502号機の牽引で来ました。

 

1133M 普通 男鹿  EV-801系G1編成 上飯島

 

続いて今回のお目当ての1つ、EV-801系「ACCUM」が登場。2017年3月にデビューした秋田地区の最新鋭車両で、電化区間は電車、非電化区間は蓄電池電車として走行することができます。「なまはげ」をイメージした大胆な塗装とJR九州を彷彿とさせる巨大前面LEDが特徴的です。

 

ここまで撮影したところで雷雨に見舞われたので秋田駅まで撤退。夕方まで暇になってしまったのでここで少し遅めのお昼。比内地鶏の親子丼をチョイスしました。うますぎて号泣。

 

それでもなお時間があったので、秋田駅から少し離れた秋田総合車両センター南秋田センターへ。秋田地区の車両を一手に受け持つ車両基地です。構内北側の留置線群を横目にしばらく南下しまして、南側の検修庫が並ぶエリアへ。

 

歩き回って探すこと十数分、お目当てのGV-E197系の姿が見えました。

 

遂に本稼働が始まったGV-E197系。高崎・水戸・郡山・秋田の4箇所に常駐するという形が採られるようで、秋田地区には3月12日から13日にかけてTS03編成が送り込まれました。

 

もう少し見やすい場所にいてくれれば万々歳でしたが、こればかりはどうしようもありません。ひとまず記録はできたので再び秋田駅へ。ちょうどいい時間になったので再び上飯島駅へと向かいます。

 

1139M 普通 男鹿  EV-E801系G6+G*編成 上飯島~追分

 

今度は駅を出て少し歩いたところにある踏切へ。狙いは今回の大本命である男鹿線の4連運用ですが、ここにきてまさかの晴れ。先ほどの雷雨は一体何だったのか。

 

ということで課題が色々と残りましたが、ひとまずこれにて日中の部は終了。秋田駅に戻ってきりたんぽ鍋で英気を養います。酒も飲んでいい感じになったところで駅に入場しまして、夜の部の開幕です。

 

構回7M E653系U-10*編成 秋田

 

まずはE653系E751系の並びから。JR初期世代を代表するスタイリッシュな特急型車両の競演です。

 

構回2044M E751系A101編成 秋田

 

E653系が先に出て行きまして、E751系単体の写真も撮れました。E653系をベースに交流専用車両として開発されたE751系。幼い頃はフレッシュひたちの紛い物だと思っていましたが、改めて見てみるとなかなかかっこいいものです。

 

1143M 普通 男鹿  EV-E801系G1編成 秋田

 

そして本題のEV-E801系。お昼に上飯島で撮ったG1編成が戻ってきました。

 

次回は非電化区間で…、とリベンジを誓い、夜の部も終了。酒とつまみを買い込んで「こまち48号」に飛び乗りまして、秋田を後にしました。

 

そのまま東京まで…、ではなく途中の仙台で下車。発車を見送りまして、これよりキュン♥パス延長戦の開幕です。

 

乗換通路のヘッドマークを眺めつつ在来線ホームへ。酔い覚ましがてら仙台のカッコいい電車を眺めに行きます。

 

270M 普通 新地  701系F4-17+E721系P-*編成 仙台

 

秒で酔いが覚めました。701系4連先頭の新地行きです。あまりにもかっこよすぎます。国宝。

 

2563D 普通 小牛田  HB-E210系C-6+C-*編成 仙台

 

そしてこちらも今回の旅の本命の1つであるHB-E210系。仙石東北ライン用の車両ですが、1日2本限定で小牛田行きに充当されます。東北本線表示があまりにもカッコよすぎて号泣しました。

 

これだけ撮れればもう大満足ということで、再度酒を買い込み宿へチェックイン。キュン♥パス最終日、これにて閉幕です。

 

つづく。

 

再会 OM08編成

 

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185系OM08編成

 

2012年2月から2015年2月までの3年間にわたり、157系風のいわゆる「国鉄特急色」を纏った唯一の185系です。

 

2023年2月18日に長野総合車両センターで最後の1両となったサロ185-214に別れを告げ、この特別な編成との物語は終わる…、はずでした。

 


 

事の発端はまたしても10年来の知人からのLINEでした。彼は定期的に私の人生における重大な情報を提供してきます。送られてきたリンクを開くとそこには「鉄道古物オークション」の文字がありました。

 

一昔前は車両基地等のイベント会場でよく見かけた鉄道部品などのオークションですが、コロナ渦で無料イベントが減少したこともあってか、現在はJRE MALLなどでのネットオークションが主流となっているようです。

 

これまで撮り鉄をメインに活動してきたもので、正直なところ鉄道部品にそこまで興味はなかったのですが、出品商品一覧に目をやるととんでもないものが目に飛び込んできました。OM08編成の編成番号札です。

 

おそらく一生に一度のチャンス、金に糸目をつける理由はありません。人生初のネットオークションに挑みました。

 

そして迎えた入札期間最終日。ラストスパートと言わんばかりの値段の跳ね上がり方に冷や汗をかきつつもどうにか最高額入札をキープし続け、無事に落札に成功しました。

 


 

激闘からおよそ半月、遂にOM08編成との再会の時が訪れます。

 

段ボール箱が届きました。一眼で段ボール箱を真剣に撮影したのは初めてです。

 

開けると厳重に梱包された白いプレートが。この時点で既に号泣しています。

 

 

185系OM08編成の編成番号札です。あのOM08編成の運転台に掲げられていた編成番号札です。

 

なぜ自分の手元にあるのか未だに理解ができません。いくらオークションで落札したとはいえ、こんなにも貴重なもの一個人が所有していいものなのかと今でも疑問に思います。

 

ということで、自宅の模型と並べて撮影会を開催。左からラウンドハウス 185系200番台 国鉄特急色タイプ、TOMIX JR 185-200系特急電車(国鉄特急色)セット、天賞堂 185系200番代『157系リバイバル国鉄特急色7両セットです。

 

本当に贅沢な光景です。実車は姿を消しましたが、模型の世界では永遠に不滅です。

 


 

あの日大宮駅で初めて見た姿に衝撃を受け、運用とにらめっこしながら、コンデジ片手に何度も撮影に出向いたOM08編成。そんな特別な編成が存在した証である編成番号札を手に入れることができました。

 

一生大切にします。