れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

2022/6/28 工7230D・工7231Dなど

引き続き1ヶ月ほど前の話になります。

 

久々に越中島貨物駅に来てみました。貨車置き場では既に短キヤがスタンバイ中…。

 

※入換(上沼垂工臨) キヤE195系ST-16+ST-19+ST-13+ST-14編成 越中島貨物

 

4編成がまとめて出てきました。この日の午前便は上沼垂工臨。既に返空まで終了していますが、行き先は前から浦佐、新潟タ、鶴岡、吉田の順。チキ車時代では当たり前だった複数の行き先をまとめて発送するスタイルも、気付けば新潟支社と長野支社のみになってしまいました。

 

それにしても草がすごいです…。

 

入換終了後の構内はこんな感じに。積込線にST-10編成、貨車置き場にはST-9編成とST-15編成、そしてLT-3編成の姿もありました。

 

続いて運河の反対側へ。

 

積卸作業場には前日に送り込まれたST-20編成とチキの姿がありました。

 

TMC400A 57とチキ…。

 

よく見るとチキ7032・7082ユニットでした。

 

4月4日の9294列車で越中島貨物駅を発って以降、東日本エリアをぐるぐる回り続け、4月16日の551列車で仙台埠頭入り。4月30日に仙台埠頭発・新潟タ行きのレール臨貨として発送され、5月28日に再び仙台埠頭へ。6月7日に、今度は鹿島サッカースタジアム行きレール臨貨として発送され、6月27日の9295列車でようやく越中島貨物駅に帰ってきました。

 

4月と6月に1回ずつ発送された仙台埠頭発・首都圏向けのレール臨貨。越中島貨物駅発着のレール臨貨が廃止になったのかと思いきや、6月20日越中島貨物駅発・東京タ行きのレール臨貨が発送されているので、そういうことではない模様。前々から思っていましたが、レール臨貨って工臨よりも奥が深い気がします…。

 

 

そんな越中島貨物駅常備チキたちの横で淡々とレールが積み込まれていくST-20編成。このあと6月30日の午後便(友部工臨)で発送されたようです。

 

※入換  キヤE195系ST-18編成 越中島貨物

 

程なくして、午前の送り込みが到着。ST-18編成のみが送り込まれてきました。

 

そのまま積卸作業場に入線。チキを挟んでST-20編成と並びました。

 

 

JR東日本所属のチキは全廃(一部譲渡)となりましたが、JR貨物所属のチキとキヤの共演はまだしばらく見られそうですね。

 

そして工7230Dが新小岩信号場に向けて発車。間に色々挟まっていますが、キヤが3編成が並びました。

 

 

さて、この後は用事を済ませに水戸駅へ。

 

到着するとDE10 1604がスタンバイしていました。西金工臨の送り込みだったようです。

 

機関庫の前には水戸常駐機 EF81 81の姿も。

 

区名札もしっかり【尾】になっていました。

 

で、用事をさっさと済ませて昼飯を食べ、東京にとんぼ返り。これで撤収でもよかったのですが…、

 

9275 EF65 2060+東急5050系4112F 梶ヶ谷タ~府中本町

 

せっかく晴れていたので東急甲種を撮ってきました。遂に稼働機が2機となってしまった更新色が登板。何度も言っている気がしますが、まさか更新色が来てラッキーと思う時代が来るとは思いもしませんでした。

 

牽引機もよかったのですが、やはり気になるのはこの無塗装の車両。もともと8両編成だった5166Fに中間車2両を組み込んで10両化するようなのですが、なぜ無塗装で出てきたのかはよくわかりません。何か特別な車両だったりするんでしょうか…?

 

車番は既に書き換えられており、最後尾は4112号車となっていました。東急の車両は全く詳しくないのですが、この謎の中間車の正体は気になるところです。

 

これで撤収しました。以上です。

 

 

2022/6/16 試9481-9482D

1ヶ月ほど前の話になりますが…。

 

試9481D キヤE195系ST-1編成 新小平~西国分寺

 

6月15・16・23日の3日間、田端~新鶴見間でキヤE195系の試運転が行われました。15・16日は走る国宝ことキヤE195系ST-1編成が登板。23日のみST-20編成が使用されました。

 

試9482D キヤE195系ST-1編成 府中本町

 

折り返しは府中本町で。往復ともに作業灯〇で大満足でした。

 

以上です。

 

2022/5/24-25 南海電鉄・サンライズ出雲乗車記など

5記事にわたって書いてきました京都・大阪訪問記もこれが最後の記事になります。

 

 

京都鉄道博物館を退館した後はJRと阪急を乗り継いで茨木市駅へ。

 

 回 送   66系66610F 茨木市

 

阪急初訪問です。って言いながらいきなり大阪市営地下鉄の車の写真なんですが…。

 

こちらは大阪市高速電気軌道の66系。本拠地の堺筋線のほか、直通運転で阪急千里線・京都本線(淡路~高槻市間)も走行しています。この66610Fは今年リニューアル工事を終えて出場したばかりの編成だそうで、行先表示器が幕からLEDになり、車番の位置が変わり、よく見たら前面の塗分けも違っていて、なによりスカートが取り付けられています。なんかもう別の形式みたいですね…。

 

快速急行 大阪梅田   3500系3305×8R 茨木市

 

続いて阪急3300系堺筋線との直通運転用として1967年に誕生した車両です。阪急京都線の最古参でありながら現在もバリバリ活躍中。この日は快速急行に充当されていました。前照灯が消えている気がするのでリベンジ必至です。

 

阪急の撮影はここで切り上げまして、京都線堺筋線を乗り継ぎまして…、

 

各停 なんば   6200系6519F 天下茶屋

 

再び天下茶屋駅へ。まず6200系の各停が登場。前日に撮った6517Fは貫通用の幌が撤去されていましたが、この6519Fの幌は残存しています。というか、幌なしの方が少数派みたいです。

 

特急 りんかん13号 なんば  30000系30001F 天下茶屋

 

続いて特急りんかん18号。前日と同じく30001Fでした。この3日後に小原田検車区で脱線してしまい、現在も運用を離脱しています。

 

準急 和泉中央  3000系3551F+3553F+3519F 天下茶屋

 

そして走る国宝 大阪府都市開発3000系電車…、なんですが、この3551Fと間に挟まっている3553Fは中間車を先頭車化改造した車両で、前面のビードがなかったり前照灯と識別灯が横並びになっているなど、微妙に面構えが違っています。この顔もかっこいいですね。泉北ライナーが被っているのが気にならないくらいかっこいいです(気になる)。

 

急行 橋 本   6000系6907F+6200系6517F 天下茶屋

 

最後に6907F+6517Fの異形式併結を。今度は寄り過ぎました。また来ます。

 

 

これで今回の南海撮影は終了。友人と別れ、東京へと帰ります。

 

ということで、やって来たのは大阪駅。日付が変わって25日になりました。

 

 

人生2回目のサンライズエクスプレスです。

 

瀬戸はノビノビ座席以外満席だったので、今回は出雲に乗車。まあ大阪からなのでどっちでも変わらないのですが…。

 

今回の部屋はシングルツイン。B寝台ガチャで回ってきたものだと思っていたんですが、どうやらe5489で部屋の種類を選択せずにチケットを取るとシングルツインが選ばれるみたいですね。1回泊まってみたかったので結果オーライですが。

 

さてこのシングルツイン、1人用なのか2人用なのかどっちだよって感じの名称ですが、「追加料金を払えば2人でも利用できる個室」であって、基本的には1人用の個室となっています。一応上段のベッドが補助ベッドということになっているようですが…、

 

下段のベッドを解体して椅子を生成して机を引っ張り出すと、座席の状態での移動を楽しむこともできます。荷物が多い時には荷物置き場にもなりますし、なかなか便利な部屋です。当然ソロ・シングルよりは割高ですが、それなりの価値はあると思います。

 

せっかく座席を生成したのでのんびり車窓を楽しみたいところでしたが、大阪発車が0時半過ぎだったので程ほどにして就寝。あっという間に東京に戻ってきてしまいました。

 

大阪発車が0時33分で、東京到着が7時8分。最終の東京行き「のぞみ」より3時間遅く出て、始発の東京行き「のぞみ」より1時間早く着くというわけです。これぞ寝台特急って感じのダイヤですね。大阪から乗車する人も結構いたので、東京~四国・山陰の移動のみならず、大阪→東京間の移動の手段としても依然として一定の需要があるようです。

 

今度はどの部屋でどこに行こうかと考えつつ、帰路につくのでした。

 

 

以上です。

 

2022/5/24 京都鉄道博物館 Part3

Part2の続きです。

 

最後に京都鉄道博物館の展示車両以外のものについて書いていきます。京都鉄道博物館の展示クオリティの高さは車両だけに留まりません。

 

まずは本館入口左手にある【鉄道の施設】エリア。鉄道を構成する様々な設備についての展示ですが、中でも目を引く(?)のは「線路を構成する設備」の区画。

 

海外から輸入された古レールがずらりと並んでいます。今でこそ国内のレールは100%国産となっていますが、国内の製鉄所が本格的に稼働するまでは海外からの輸入がメインとなっていました。

 

刻印や断面も確認できるようになっています。

 

「線路を構成する設備」ですから、道床やまくら木についても触れられています。木まくら木とPCまくら木と合成まくら木、実際に触って違いを確かめられるところが実にいいですね。

 

こちらは「保線作業」の区画。保線作業に使用される道具や実際の作業の様子などが展示されています。普段あまり見かける機会のないものですが、日々保線作業をしてくださっている方々のおかげで今日も私たちは安全に鉄道を利用できているわけです。

 

 

続いて信号の区画。腕木式器信号機から三位式五現示色燈式信号機まで、多種多様な信号機が並んでいます。圧巻です。

 

こちらは実際に継電連動機を操作してポイントと信号を切り替えることができるコーナー。進路と連動して信号の現示も変わります。実物大の分岐器と信号機を使って体験できるってのがまたすごいところです。

 

その隣にあるのが吹田信号場で使用されていた連動装置。先ほど紹介した体験用の継電連動機はポイントを切り替えるスイッチ(てこ)が指でつまんで回すタイプのものでしたが、こちらはハンドル式です。どれくらい回すのかはわかりませんが、昔の信号場ってなかなかに力仕事だったのでは…?

 

 

続いては踏切の展示…、というよりは踏切に備え付けらえれた非常ボタンについての解説がメインのコーナー。

 

実際にボタンを押して特殊信号発光機を発光させることができます。回転形と点滅形。どちらもしっかり作動します。

 

 

また、Part2で紹介した103系モックアップの脇には簡易的なホームと非常ボタンが設置されており、こちらも実際にボタンを押して非常報知灯を発光させることができます。2001年に発生した新大久保駅での乗客転落事故を受けて設置が始まった「列車非常停止ボタン」。どういう時に押すボタンで、実際に押すとどうなるのかを知ることができる施設というのは絶対に必要だと思います。JR東日本JR西日本は、その役目をこういった博物館が受け持っているわけですね。

 

 

さて、【鉄道の施設】エリアで最後に紹介するのが軌道自転車体験のコーナー。保線作業で使用する軌道自転車に実際に乗ることができるのですが…、

 

走行する線路がありとあらゆる軌道で敷設されています。軌道の種類だけを見てもバラスト軌道・直結軌道・弾性まくら木直結軌道・スラブ軌道があり、バラスト軌道の区間内でもまくら木の種類が異なっています。軌道好きにはたまらんですね。

 

 

続いて本館2階へ。鉄道ジオラマの見学や運転シミュレータの体験もしたかったのですが、いよいよ時間が足りなくなってしまうので今回は見送りまして、気になったものをいくつか紹介していきます。

 

まず【生活と鉄道】エリア。昔の駅の改札近辺が再現されています。運賃も時刻も全て漢数字。今の感覚だと読みにくいったらありゃしないですね…。

 

ちょっと時代が進んで、こちらの改札には自動改札機が設置されています。黎明期のものでしょうか、基本的な発想は変わっていないはずですが、どこか古めかしさを感じます。

 

そして現代の自動改札機。大きな違いはやはりICカード処理部が追加されたところでしょうか。改札機のデザインそのものもだんだんスマートになってきている気がします。

 

こんなものも展示されていました。「パタパタ」こと「反転フラップ式列車発車標」です。今年2月に最後の設置駅であった京急川崎駅のものが撤去され、大きな話題になりました。こちらの展示では1番のりばと2番のりばの列車・時刻・行き先を自由に切り替えることができます。一家に一台ほしいですねこれ。無限に遊べると思います。

 

 

続いては【運行のしくみ】エリア。車載カメラを見ながら模型を動かして保安装置の仕組みを学ぶコーナーなんかもあるのですが、やはり目を引くのはこれ。

 

新幹線総合指令所で使用されていた山陽新幹線総合表示盤です。圧巻ですね。しかもこれ電源が入った状態で展示されているという。

 

まあ正直なところ見方すらよくわからないわけですが、なんとなくワクワクしますよね。

 

 

さて、最後に春季企画展「アイラブ鉄道標識 文字と記号で楽しむ鉄道」を紹介して本館の話は終わりにします。なかなか変態的で面白い企画展でした。

 

こちらは私たちが普段目にする標識の紹介…、と言っても関東の人間にとってはなかなか新鮮です…。

 

そして昔の鉄道標識の展示。駅名標や行先板(いわゆる「サボ」)、行先表示器なんかも展示されていました。

 

その中でも一番変態的だったのがこのコーナー。

 

 

JR各社の鉄道標識が大集合。圧巻です。

 

足元の案内表示まで展示されています。185系や251系のイラストが描かれたものや、

 

昨年引退した二階建て新幹線 E4系の案内表示も展示されてました。西日本以外の展示品もガチなあたりが本当に素敵です。

 

 

他にも館内の見どころは色々あったのですが、そのあたりは次回訪れた際のブログにとっておこうと思います。

 

ということで、最後に…、

 

梅小路蒸気機関車館の様子を少しだけ紹介して、京都鉄道博物館の記事を終わりにします。

 

梅小路蒸気機関車館は鉄道開業100周年を記念した事業の一環で1972年10月10日に開館した施設で、当時の梅小路機関区の扇形車庫を活用して誕生しました。その後、1987年にJR西日本に継承され、2015年8月30日に一旦閉館。翌2016年4月29日に京都鉄道博物館の1エリアとして再度開館し、現在に至ります。全20両が保存されており、そのうちの4両は「SLスチーム号」として体験乗車の牽引機に使用されています。

 

どの機関車もたいへんに貴重なものですが、その中でもちょっと気になった車両を。

 

まずこの7100形7105号機、通称「義経」号。1880年アメリカから輸入された機関車です。北海道の官営幌内鉄道で使用されていた機関車で、お召し列車牽引の実績もあるそうです。御年142歳ですが、なんと現在も走行できるように整備されているとのこと。すごすぎる。

 

続いてC51形239号機。なんだかオーラがあるなあと思って眺めていたのですが、それもそのはず、この239号機はお召し列車専用機に指定されており、全104回の牽引実績を持っているとのこと。なんだかいつまででも見ていられますね…。

 

そして現在も「SLスチーム号」の牽引機として活躍しているC62形2号機。かつて東海道本線の特急「つばめ」「はと」を牽引した機関車です。除煙板につばめのマークが取り付けられており、「スワローエンゼル」の愛称で親しまれています。晩年は小樽築港機関区に転属して北海道の地で活躍し、1972年の梅小路蒸気機関車館開館に合わせて京都の地へ。現在でも京都鉄道博物館の構内のみですが、自力での走行が可能となっています。

 

 

そんなC62 2をはじめとする動態保存機の活躍の場となっている「SLスチーム号」。この日の牽引機はC56形160号機でした。

 

最後の列車の運転終了後に給炭・給水と転車台での方向転換を行うとのことだったので、見学してみました。客車を切り離したC56 160がゆっくりと転車台に進入し…、

 

回ります。思ったより多く回ります。

 

余談ですが、転車台に繋がる線路は30Aレール、本線は50Nレールなので、30Aと50Nの中継レールを見ることができます。

 

で、給炭・給水のための線路へ。

 

翌日の運行に備えて石炭と水の補給を行います。

 

給炭・給水の後は再び転車台に進入し…、

 

推進で扇状車庫へと帰っていきます。

 

入庫まで見届けて京都鉄道博物館を後にしました。開館から閉館直前までがっつり滞在しましたが、それでもまだ見切れていないものが多数あるってところがすごいです…。

 

 

以上、京都鉄道博物館の訪問記でした。

 

2022/5/24 京都鉄道博物館 Part2

Part1の続きです。

 

だいぶ間が空いてしまいましたが、引き続き京都鉄道博物館の話題を書いていきます。前回は【祝 鉄道開業150年】と題して、蒸気機関車の誕生からJRの誕生までの歴史を紹介しました。今回は京都鉄道博物館に展示された貴重な車両たちの紹介です。

 

 

まずはエントランスホール直結のプロムナードから。エントランスから入場すると、まず3両の車両が目に入ってきます。左から蒸気機関車、電車、新幹線という並び。鉄道車両の進化を一目で見て取ることができます。

 

向かって左に展示されているのが蒸気機関車代表 C62 26。東京~大阪間を結んでいた特急「つばめ」「はと」などの牽引に使用されていた機関車です。現役引退後はかつて大阪にあった「交通科学博物館」で展示されていた車両ですが、京都鉄道博物館の開館に伴い京都の地へとやって来たそうです。

 

その隣に展示されているのが国鉄80系電車 クハ86形1号車です。「日本初の長大編成電車」として誕生した80系。東海道本線において最大15両編成で運用されていたようです。京都鉄道博物館で保存されているのは、1956~1957年に製造された100番台(クハ86形)の1号車と200番台(モハ80形)の1号車の合計2両。80系と言えば「湘南形」でおなじみの前面2枚窓の車両を思い浮かべますが、なぜかこちらは1両も保存車両が存在せず、前面3枚窓のクハ86形のみが京都の地で保存されています。

 

その隣には言わずと知れた「夢の超特急」0系の姿があります。東京~新大阪間を4時間で結び、時間の概念を変えたといっても過言ではない「新幹線」。その初代営業用車両であるの0系の功績はもはや説明するまでもないでしょう。そしてこの0系21形1号車は1964年に製造された0系トップナンバー編成の大阪方先頭車です。京都鉄道博物館にはこの0系21形1号車を含む4両の0系が保存されています。

 

反対側の0系22形1号車(東京方先頭車)は運転台と車内が公開されていました。これが「夢の超特急」0系の運転台です。

新幹線車両は一般的な「電車」とは異なり、右側にマスターコントローラー(いわゆる「マスコン」・自動車でいうアクセル)、左側にブレーキハンドルという構造になっています。また、一般的な電車のマスコンはノッチ(刻み)が4~5段となっていますが、0系のノッチは10段まで設けられています。走行する速度域の広さ故にこれだけの段数があるのだと思われます。

 

こちらは0系22形1号車の車内。他の3両は当時の内装のままに展示されているようですが、こちらは展示室となっています。

 

この他の2両は、0系16形1号車(グリーン車)と0系35形1号車(食堂車)で、いずれも東海道新幹線開業当初から活躍している貴重な車両です。

 

そして0系の後継車である100系の先頭車も館内に展示されています。「シャークノーズ」と呼ばれた先頭車構造が特徴的な東海道・山陽新幹線の2代目営業用車両です。国鉄で初めて2階建車両を導入した形式でもあり、速達性のみならず居住性の面でもサービスアップを実現しました。

 

京都鉄道博物館に保存されているのはJR西日本所属のK54編成の東京方(山陽新幹線新大阪方)先頭車 100系122形5003号車で、2012年4月まで山陽新幹線で活躍していた車両です。製造当初はV3編成の東京方先頭車100系122形3003号車でしたが、2002年に6両編成に短縮されてK54編成となり、100系最末期まで本線上を駆け抜けた車両の1つとなりました。

 

そして京都鉄道博物館には新幹線がもう1両保存されています。

 

500系521形1号車です。本館に入ってすぐの場所にクハネ581 35・クハ489 1と共に展示されています。京都鉄道博物館の展示車両と言われればまずこの3両が並んでいる光景が思い浮かびます。

 

500系新幹線はJR西日本が開発した新幹線車両で、0系・100系300系に次ぐ東海道・山陽新幹線の4代目営業用車両です。当時世界最速であった時速300kmでの営業運転を実現させたことで知られています。

 

最大の特長は「ジェット戦闘機」などと形容される15mのロングノーズと円筒状の車体。時速300kmでの営業運転を実現すべく、高速性能を徹底的に追求しています。ちなみに、性能的には時速320kmでの営業運転も十分に可能となっていますが、非常制動距離等の問題から余裕を持たせて時速300kmが営業最高速度になったそうです。

 

1997年3月22日の「のぞみ503号」でデビューを飾った500系。同年11月29日からは東海道新幹線での運用を開始しています。時速300kmでの営業運転を実現させて多大なインパクトを与えた一方で、高速性能を極限まで追求したが故に生じた居住性の問題や他形式との座席数の違い(特に東海道新幹線内)が次第に問題視されるようになってきます。その結果、2010年2月28日をもって東海道新幹線から撤退。8両編成に短縮されて山陽新幹線内でのみ運用されるようになり、現在に至ります。

 

「時速300km」というインパクトと、スピード感溢れる外観、そして「東海道・山陽新幹線=白と青」の常識を覆したグレーとブルーの塗装。全盛期の頃に比べると現在の姿にはどうしても物足りなさを覚えますが、500系という車両が記憶にも記録にも残る新幹線のレジェンド的存在であったことは間違いないでしょう。

 

 

さて、新幹線の話題はここまでにしまして、ここからは本館の貴重な車両たちをご紹介していきます。

 

まず本館の入口正面に展示されているこの蒸気機関車。230形233号機というそうで、1903年に日本で製造された初めての量産型蒸気機関車です。日本の鉄道開業が1872年ですから、開業からしばらくは海外から輸入された機関車が主力だったというわけですね。

 

大宮の鉄道博物館の車両ゾーン展示入口正面には「1号機関車(150形蒸気機関車・日本の鉄道開業時にイギリスから輸入された機関車)」が展示されていますが、それと双璧をなす存在と言ったところでしょうか。どちらも国の重要文化財に指定されている、たいへんに貴重な機関車です。

 

そして本館にはもう1両蒸気機関車が展示されています。こちらは1800形1801号機、1881年にイギリスから輸入された機関車です。

 

機関車自体が貴重なのは言うまでもないのですが、足元を見てみると当時使用されていたと思われる双頭レールがそのままに展示されています。こういった部分も含めて1つの展示となっているわけですね。

 

その脇には鉄道開業時の新橋停車場の石材の一部も展示されています。これもまたたいへんに貴重なものだと思われますが、石にはあまり詳しくないもので…。

 

続いて本館のメインと言ってもいい車両の紹介です。一番左の500系は上の方でアツく語ったので割愛しまして…、

 

この2両を見ていきましょう。

 

まずはクハネ581 35から。581・583系は、逼迫する輸送需要と車両増加に伴う車両基地不足への切り札として、1967年から1972年にかけて製造されました。昼間は座席車、夜間は寝台車として運用できる「昼夜兼用電車」として誕生。最初に投入された列車が新大阪~博多間を結ぶ特急「月光」であったことから、「月光型」の愛称で親しまれています。

 

1967年に直流・交流60Hz対応の581系の製造が開始され、翌年1968年からは直流・交流50Hz/60Hz対応の583系の製造も開始されました。なお、583系登場後も対応周波数に関係のない車両(先頭車・付随車)は1970年頃まで581系として製造され続けたため、581系583系が混在している編成が多数存在します。このクハネ581 35が組み込まれていた編成も動力車は583系でした。

 

1967年に昼行特急「みどり」寝台特急「月光」としてデビューした581系。翌1968年には583系が昼行特急「はつかり」、寝台特急はくつる」「ゆうづる」としてデビューを飾っています。

 

西は南福岡電車区(後に向日町運転所に転属)、東は青森運転所に配属された581・583系。向日町運転所所属の車両は関西対北陸・九州の列車に充当され、北は富山、南は西鹿児島まで運用範囲を拡げていましたが、列車そのものの廃止や昼夜兼用であるが故の問題点(コスト・設備等)が浮き彫りになり、次第に活躍の場が狭まっていきます。そして1985年3月のダイヤ改正以降は大阪~新潟間を結ぶ急行「きたぐに」が唯一の定期運用となってしまいました。しかしながら車両自体は比較的長く大切に使われており、民営化後には延命工事も受ることとなり、波動輸送等に従事しながら2013年1月改正の「きたぐに」廃止まで走り続けました。

 

青森運転所の車両についても、前述の理由や過酷な運用による車両の老朽化によって活躍の場は徐々に狭まり、1994年12月をもって定期運用が消滅したものの、こちらも民営化後に更新工事を受け、所属を転々としながら波動輸送に従事し続けました。その後、2017年4月のさよなら運転をもって全廃となりました。

 

このクハネ581 35は急行「きたぐに」用として最後まで走り続けたB6編成の新潟方先頭車で、定期運用の大阪行き最終便に充当された車両です。京都鉄道博物館での展示にあたってデビュー当時の塗装やJNRマークが復刻されましたが、いつかまた「きたぐに」末期時代の姿を見てみたいものですね。

 

続いてクハ489 1。489系は国鉄が1964年から1979年に製造した交直流特急形電車485系グループの一員で、485系碓氷峠におけるEF63との協調運転装置を付加する形で1971年に誕生しました。初期型と呼ばれる1971~1972年に登場した489系は先頭車がボンネット型で製造され、向日町運転所に配置されました。

 

その後、1973年に金沢運転所に転属。「白山」を中心に「しらさぎ」「加越」「北越」などで活躍しました。1993年3月改正で受け持った急行「能登」が最後まで残った定期運用となり、2010年3月の臨時化まで担当し続けました。その後、2011年3月に行われたさよなら運転で引退、H01編成のクハ489 1のみがこの京都鉄道博物館で保存されることとなりました。

 

このH01編成は「能登」や間合いで受け持っていた上野口の「ホームライナー」のほか、舞浜臨などで首都圏に頻繁に顔を出しており、金沢運転所所属でありながら関東民にとっても馴染み深い車両だったりします。

 

ところで…、

 

このクハ489 1が組み込まれていたH01編成はこの「白山色」で活躍していた時代があり、2019年10月14日から2020年2月25日までクハ489 1に白山色のラッピングを施した姿を見ることができました。

 

これは本当にかっこよかったです。是非また見たいですね…。

 

ところで、京都鉄道博物館にはもう1両ボンネット型の特急形電車が展示されています。

 

それがこの151系…、のモックアップです。かつて東海道本線の特急「こだま」「つばめ」で活躍した車両です。

その功績は前回の記事にも書いた通りで、東京~大阪間の日帰りを現実のものとしたほか、「電車特急」の地位を確立させた偉大なる車両です。

 

せっかくなので運転台も見学してきました。モックアップとは言えど、実によくできていますね…。

 

続いて同じく国鉄特急色を纏うキハ81 3。日本初の特急形気動車です。1960年に製造され、上野~青森間の特急「はつかり」としてデビューを飾りました。

 

151系や489系と同様に先頭車はボンネット型となっていますが、こちらはお世辞にもスタイリッシュとは言い難い外観で、「ブルドッグ」なんて呼ばれていたとかなんとか。また、運用開始直後は初期トラブルが続発し、「はつかり がっかり 事故ばっかり」と揶揄されていたことは有名な話です。とは言えど、日本初の特急型気動車として非電化路線の高速化に大きく貢献したことは間違いありません。

 

そんなキハ81 3の隣には3両の車両が並んでいます。

 

まずDD51 756から。DD51形と言えば全国の蒸気機関車を置き換えた無煙化の立役者。梅小路蒸気機関車館と隣接しているこの地に保存されていると、なんとなく肩身が狭そうに思えてきます。

 

続いて国鉄初の新性能電車101系…、のモックアップ。ドアの開閉やパンタグラフの昇降を体験できます。この101系と先ほど紹介した151系モックアップは、プロムナードに展示されているC62 26などと同様にかつて交通科学博物館で展示されていたものだそうです。

 

そして国鉄最強の直流電気機関車EF66です。高速道路網の拡充でシェアを拡げていたトラック輸送への切り札として登場し、東海道山陽本線高速貨物列車に投入されました。

 

定格出力は3900kW、当時EF65F形の重連で運転されていた列車をEF66形1両で置き換えてしまうほどのハイパワーっぷりです。

 

その実力が買われ、1985年3月からは編成の長大化でEF65形での牽引が難しくなった東京発着のブルートレイン牽引機に抜擢。貨物機として生まれながら寝台特急の先頭にも立った、稀有な存在の機関車です。

 

この35号機はブルートレインの先頭には立たずにずっと貨物機として活躍してきた機関車ですが、現役引退後にJR西日本に譲渡され、この京都鉄道博物館の地で展示されることと相成りました。展示に際して登場時の塗装に復刻、運転台上の冷房装置を取り外しなどが行われています。

 

なお、このEF66 35とDD51 756は下に通路が設けられており、床下をじっくりと堪能することができるようになっています。

 

機関車繋がりでは、国産初の大型電気機関車 EF52も展示されています。その後に登場する電気機関車の礎となった存在であり、機関車の国産化を大きく推進しました。

 

さて、本館の展示車両で最後に紹介するのはヨ5000形5008です。ヨ5000形は汐留~梅田間で運転されていたコンテナ特急「たから」の車掌車で、従来の車掌車では対応できなかった時速85kmでの高速運転に対応しています。ちなみに、前にくっついている車両はワム3500形7500で、1917年に製造された100年以上前の有蓋貨車です。

 

行灯型のテールサインを掲げて走っていたそうで、今でいうスーパーレールカーゴ的な存在だったのでしょうかね。

 

 

以上が本館に展示されている車両になります。車両に歴史あり、調べてみるとどの車両も本当に貴重な存在であることがよくわかります。

 

さて、最後にプロムナードの車両をもう少しだけ。

 

こちらは国鉄の通勤型電車の代表格 103系。全3447両が製造され、同一形式の車両数は日本一となっています。そんな103系の貴重なトップナンバーであるクハ103 1ですが、前回訪れた時と何か雰囲気が違う気がしたので写真を掘り返してみたところ…、

 

前回見た時は前面窓下のJRマークと車番がなかったんですね。賛否両論あるとは思いますが、JRマークがあると引き締まって見える気がします。

 

その隣にはDD54 33。亜幹線用として誕生したディーゼル機関車で、まるで外国の機関車のような外観が特徴です。残念ながら事故や故障が頻発して、登場からわずか10年余りで全車両が運用を離脱するという悲劇的な事態に見舞われましたが、お召列車や寝台特急「出雲」の牽引といった晴れ舞台に立った実績があることも事実です。

 

プロムナードに隣接しているトワイライトプラザには一瞬だけ立ち寄りました。前回訪れた際に色々と書いた記憶があるので、ここは割愛させていただきます。

 

この他にも京都鉄道博物館には貴重な車両が多数保存されています。今回全く触れられなかった客車も貴重なもの揃いなのですが、とても1日では見切れなかったので次回訪問時のお楽しみにしておこうと思います。

 

 

以上、京都鉄道博物館の展示車両の紹介でした。次回は車両以外の展示について書いていきます。

 

Part3へつづく。