れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

変革185 Part4

気付けば第5弾。Part3の続きです。

 


 

前回の主役はB編成とOM03編成、波動用に転用されるまでの流れを見てきました。今回は波動用編成のその後と、OM編成が淘汰されていく流れ、そして最後は現代の体制がどのようにして出来上がったのかを見ていくことにしましょう。

 


 

8.波動用編成のその後

 

2013年の夏臨から多客臨への充当が始まった185系の波動用編成。最初は臨時の「草津」と「はまかいじ」のみでしたが、その後は「ホリデー快速鎌倉」「シーハイル上越」など、大宮の183・9系が担ってきた運用を徐々に置き換えていきます。

 

そして2013年の冬季からは、18きっぱー御用達の臨時快速「ムーンライトながら」にも185系が進出。長らく使用されてきた183・9系H101・H102編成に引導を渡しました。183・9系時代と同様に10両編成での運転で、B7+B4コンビとC7+B5コンビがその任に当たることとなりました。

 

ムーンライトながら」充当を前に、B4・B5・B7、そしてB3編成に対してATS-Sn'の取付工事が行われました。C7編成は修善寺発着の「踊り子」で日常的にJR東海区間に入線していたため、もともとATS-Sn'を搭載しており、特に改造等は受けていないようです。ただ、2013年には既にJR東海はATS-PTという新しい保安装置に切り替わっていたはずなので、ATS-Pさえ積んでいればJR東海区間には入れるはず(そして言うまでもなく185系は全編成ATS-Pを搭載しています)なので、なぜSn'をわざわざ搭載したのかはよくわかりません。ちなみに、後に「ムーンライトながら」に使用されることとなるOM03編成はSn'を搭載していません。

 

そして12月20日、B7+B4コンビが下り「ムーンライトながら」に登板。翌日からはC7+B5コンビも参戦し、大垣夜行の新たな歴史が始まりました。

 

ちなみに、B2・B6・OM03編成に対しては、ATS-Sn'の取付は行われませんでしたが、新潟地区への入線を見越してATS-Psの取付工事が行われています。また、OM03編成に対しては西日本地区乗り入れの改造が行われたという話もありますが、波動用に転用されて以降、実際にJR西日本管内に入線した実績がありませんので、真偽はよくわかりませぬ。わかる範囲での改造メニューをまとめておくと…、

 

B2(8両)→ ATS-Ps取付け

B3(6両)→ ATS-Sn'取付け

B4(6両)→ ATS-Sn'取付け

B5(6両)→ ATS-Sn'取付け

B6(6両)→ ATS-Ps取付け

B7(4両)→ ATS-Sn'取付け

C7(4両)→ 特になし

OM03(6両)→ ATS-Ps取付け・パンタグラフ交換・西日本地区対応(?)

 

って感じのようです。

 

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C7編成(左)とB5編成(右)。C編成はもともと東海乗り入れのSn'を搭載していますが、B5編成にもSn'が取り付けられました。

 

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こちらはATS-Psが取り付けられたB6編成。

 

この件はもうちょっと調べてみようかなと思っていますので、なんかわかり次第追記していきます。

 

 

さて、波動用編成が徐々に活躍の場を広げて始めた頃、定期運用に残ったOM編成には悲痛な宣告が下されることとなります。

 


 

9.スワロー襲来 2014.3.15改正

 

185系が初めて「ムーンライトながら」に登板した2013年12月20日JR東日本から2014年3月改正の概要が発表されました。この改正で、185系の7連運用は大きな変革を迫られることになります。

 

①平日下りの特急「あかぎ」全便、「ホームライナー鴻巣1・3・5・7号」を特急「スワローあかぎ」に変更

 

高崎線の平日夜間帯に走る特急「あかぎ」と「ホームライナー鴻巣」が、特急「スワローあかぎ」に一本化されます。「スワロー」という名称はツバメと「座ろう」を掛けたシャレのようなものだとかなんとか。ちなみに、一本化のついでにぐちゃぐちゃだった上野発車時刻も整理され、最終の17号を除いて全列車が上野を00分か30分に出るようになりました。なお、上野23時18発の「ホームライナー鴻巣7号」にあたる列車は設定されず、全体で見ると1本削減という形になっています。

 

で、まあ500円で乗れたホームライナーを全席指定の特急に格上げしたわけですから、値上げだの何だのブーブー言われたことは想像に難くないとは思います、が、気付けばすっかり定着しましたよね…。それどころか、「スワロー」こそ名乗らないものの、常磐線や中央線でも同じようなサービスが展開されている現状を見る限りでは、この「スワローあかぎ」は新たな着席サービスの先駆け的な存在であったと言えるでしょう。

 

②平日上りの特急「あかぎ2・4号」を特急「スワローあかぎ2・4号」に変更

 

朝の上り「あかぎ」もスワロー化。但し、「あかぎ6・8・10号」についてはスワローサービスの対象外となりました。

 

③「ホームライナー古河」の廃止

 

東北線ホームライナーは、スワロー化されることもなく廃止が決定。これで新特急「なすの」から続いた185系東北線内(大宮以北)での定期運用が消滅となりました。

 

④特急「あかぎ12号」の廃止

 

平日の夜にひっそり運転されてきた上りの特急「あかぎ12号」が廃止に。一方の「あかぎ10号」はスワロー化こそされなかったものの廃止を免れました。

 

⑤新宿発着の列車を除き、特急「草津」「あかぎ」全列車の使用車両を185系から651系に変更

 

色々変更点がありましたが、一番大きいのはこれ。遂に185系200番台の置き換えが正式に発表されたのでありました。

 

1982年の登場から32年、遂に東北・高崎系統から退くこととなった200番台。そしてなにより、新特急時代、もっと言うとその前身の急行時代から続いていた自由席主体のサービスも、(一部列車こそ自由席が残るものの)ほぼ全席指定のスワローサービスに置き換わることとなりました。新時代の到来、そして185系の淘汰が本格的に始まろうとしていました。

 


 

10.2014年3月改正前夜

 

そして迎えた2014年3月14日。この日をもって185系200番台は東北・高崎系統の特急から撤退することとなります。最終日の運用は以下の通りでした。

 

2014.3.14

〇下り(上野発車順)

3001M 特急 草津1号      OM07

3003M 特急 草津3号      OM02

3971M ホームライナー鴻巣1号  OM05

3973M ホームライナー鴻巣3号  OM08

4001M 特急 あかぎ1号     OM06+OM01

3975M ホームライナー鴻巣5号  OM02

4003M 特急 あかぎ3号     OM05

3621M ホームライナー古河1号  OM09

4005M 特急 あかぎ5号     OM07

3623M ホームライナー古河3号  OM08

4011M 特急 あかぎ11号      OM02

4013M 特急 あかぎ13号      OM01

3977M ホームライナー鴻巣7号  OM09

 

〇上り(上野到着順)

4004M 特急 あかぎ4号     OM01+OM06

4006M 特急 あかぎ6号     OM02

3002M 特急 草津2号      OM05

3004M 特急 草津4号      OM02

4010M 特急 あかぎ10号      OM07

4012M 特急 あかぎ12号      OM01

 

1年前の改正直後はB編成がかなり幅を利かせていましたが、最終日は全てOM編成での運用。列車自体が廃止となるホームライナー古河の最終列車はOM08編成が務めました。なんとも綺麗な幕切れだったなと、今になって思います。

 

 

さて、東北・高崎系統の運用消滅により、余剰編成が発生することになったOM編成。東海道での2運用は据え置きとなるため、予備を考えると3編成が残留、6編成が離脱、というシナリオが想定されました。

 

まず、改正前日のホームライナー小田原21号で東海道を下っていったOM04編成は残留が確定。運用の流れ的にはOM08編成が改正当日の踊り子に回りますが、高崎・新前橋停泊組を含めた全編成が東大宮操に帰還していたので、正直どの編成が生き残ってどの編成が離脱するのかは読めない状況でした。

 

そしていよいよ、OM編成・B1編成の運命を決める2014年3月15日を迎えることとなります。

 


 

11.運命の2014年3月15日改正

 

遂に迎えたダイヤ改正当日、真っ先に動きを見せたのはOM09編成でした。定期最終の上り「あけぼの」を待つ撮り鉄を横目に東北貨物線を南下し、臨時特急 踊り子103号に登板。これでOM04・09の残留が確定となりました。

 

残る枠は1つ。どの編成が残るのかとヒヤヒヤしつつ大宮に回8226Mを見に行くと…、

 

 

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見慣れた国鉄特急色の車両が姿を現しました。構図はツッコまないであげてください。まさかのOM08編成残留決定、ここで生き残ったOM04・08・09の3本が、現在も定期運用に従事している7連ということになります。

 

では、他の編成はと言いますと…、

 

OM01 → 3.15~18 小山疎開 / 3.19~ 幕張疎開

OM02 → 3.15 OM入場

OM05 → 3.15 川越疎開

OM06 → 3.15~16・17~ 尾久疎開 (+OM07)

OM07 → 3.15~16・17~ 尾久疎開 (+OM06)

B1 → 3.15? 東京総合車両センター疎開

 

こんな感じで各地へと疎開していきました。ということで、最後にこれらの編成の幕切れを見て、長々と続いてきた変革185シリーズの〆としたいと思います。

 


 

12.旅立ち

 

最初に大きな動きを見せたのは、東京総合車両センターに疎開していたB1編成でした。東大宮へと戻ることもなく、5月12日に自力で中央本線を下り、長野総合車両センターへ。185系史上初の編成単位で廃車が発生した瞬間でもありました。OM03編成とトレードで定期運用に残ったということもあり、しばらくは使うのかと思った矢先の廃車。B編成の草津・あかぎはちょうど1年限りしか見られなかった光景ということになりました。

 

これに続くように長野へと旅立ったのがOM05編成。ダイヤ改正当日に川越車両センター疎開し、4月の中旬に大宮総合車両センターに入場。パンタグラフ撤去、反射板取付の上、5月21日にEF64 1030に牽引され、長野へと向かいました。

 

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OM編成のパンタグラフ中央東線の狭小トンネルに対応していないため、撤去の上で機関車牽引での配給となったわけですが、反射板の取り付けられた姿を見るのは辛かったですね。当時は。今は特に何とも思わないですけど。

 

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続いての長野送りはOM02編成。OM02編成は、ダイヤ改正当日に大宮総合車両センターに入場しており、分割された状態での構内留置が続きました。この編成が真っ先に長野送りになるのかと思いきや、4月の下旬に突然出場し、5月の上旬に定期運用復帰というまさかの展開に。このまま残留かと思いきや、数日でまた運用を離脱し、5月17日に再び大宮総合車両センターに入場。パンタグラフ撤去・反射板取付けの上で、5月28日に長野へと旅立ちました。

 

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最期の時を待つOM02編成。この姿を見ると感傷的になったものです。当時は。

 

3本が相次いで長野送りとなったわけですが、ここで少し流れが変わります。続いて動きを見せたのは、ダイヤ改正直後に併結状態で東大宮と尾久を行ったり来たりしていたOM06編成とOM07編成。5月下旬に東大宮へと戻り、それぞれ大宮総合車両センターに入場したわけですが、OM06編成はモハ184-221とモハ185-221、そしてサロ185-211を外して4連となり、6月19日に長野送りとなりました。一方のOM07編成は、OM06編成から外された3両を組み込み、10両編成となって出場。6月3日に再び尾久へ疎開しました。EXPRESS色10連という、185系史上初めて登場した仕様が話題になり、踊り子への登板が期待されましたが、この編成に与えられた使命は10連運用の補完ではなく、全く別のものでした。

 

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それがご存知、上野東京ラインの試運転です。8月から半年に渡って行われてきた試運転の大半の日程を、このOM07編成が務めました。この上野東京ライン開業で東大宮から東京への回送が圧倒的に楽になったわけですが、そこらへんの話まで書くともうキリがないので、ここらへんでやめておきます。

 

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上野東京ラインの試運転という使命を全うしたOM07編成。1回くらいこのまま運用入りしないかなあ、と思っていたのですが、そんな期待も虚しく、翌2015年5月25日に4両、6月4日に残る6両が長野へと旅立ちました。

 

残るはOM01編成。2014年のダイヤ改正当日に小山、19日からは幕張へ疎開した編成ですが、この編成も5月の下旬に運用復帰を果たします。しかし、やはりこの運用復帰は数日限りのもので、6月25日に長野へと旅立っていきました。これにて2014年ダイヤ改正で発生した余剰編成の始末が完了となりました。

 


 

13.エピローグ

 

2014年に5編成32両もの廃車が発生した185系。終焉へのカウントダウンは着実に進んでいきます。

 

翌2015年にOM07編成とA2編成の20両が廃車になります。そして2016年3月改正で、最後の北関東運用となっていた新宿発着の「スワローあかぎ」「あかぎ」も651系に置き換えに。これでA編成にも余剰が生じ、185系の「あかぎ」最終便を務めたA4編成が2016年10月3日に長野へ。

 

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A編成も狭小トンネルに対応していないため、機関車牽引での配給となりました。OM07編成とA2編成は4両と6両に分割しての輸送でしたが、A4編成は10両まとめての長野送り。大宮発か東大宮発かで分割するかどうかが変わるってことなのでしょうか…?

 

2013年から2016年にかけて廃車の相次いだ185系でしたが、東海道側の運用は相変わらず185系が幅を利かせており、転用が囁かれていたE257系も動きが見られなかったため、A4編成の廃車以降は10連6本、7連3本、5連6本、そして波動用組という体制がしばらく続きました。

 

が、一番安泰だと思われていた波動用組のB2・B3・B4編成が2018年の8月から9月にかけて突然の長野送り。D-ATC対応編成も容赦なく廃車となる現状に、185系の終焉がすぐそこまで迫っていることを感じたものです。

 

ということで、現在の配置状況を見てみましょう。

 

大宮総合車両センター宮オオ):137両

10両:6本(A1・A3・A5~A8)

7両:3本(OM04・OM08・OM09)

5両:6本(C1~C6)

 

6両:3本(B5・B6・OM03)

4両:2本(B7・C7)

 

※2020.5.5現在

 

227両が在籍していた185系ですが、ここまで数を減らしています。E257系の転用もそれなりに進んできているので、近いうちに一気に淘汰が進むことでしょう。

 

さて、最後にこの話題を書いておかねばなりません。

 

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2014年のOM公開で突如リークされた全編成ストライプ化大作戦。個性豊かな塗装バリエーションが売りの185系でしたが、最後は一族揃ってストライプ塗装になるというまさかの展開。2017年のOM09編成の塗装変更をもってこの作戦は完遂され、今日の状態へとつながるわけです。

 


 

さて、2013年改正前から現代への185系の動きを一気に見てきました。まさかこんな長引くとは思わず、ダラダラ書きすぎたなと反省しております。最後までお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。

 

今でこそ工臨や京王、いずっぱこの写真ばっかりなこのブログですが、開設当時は185系がメインで登場することも多かったものです。それくらい185系には思い入れがあったんですが、さてその熱はどこへいったのやら…。まあそれはさておき、当時自己満足用に作っていた185系の動きのメモがこんな形で活用される日が来るとは思ってもいませんでした。同人誌のネタにすることも考えたのですが、ろくに外出できないこの状況下の暇潰しのネタにした方がいいなーと思ってブログでの執筆を選んだ次第です。めんどくせえと思った時期もなかったわけではないですけど、結構楽しみながら書けたのでよかったなと思います。現代もしぶとく残り続ける185系、生き残った編成たちはこんな激動の時代をくぐり抜けてきたんだなということを知っていただけたら嬉しいです。

 

緊急事態宣言が5月末まで延長されました。まだまだ先の見通せない状況が続いていますが、こういう時だからこそ昔の記録なんかに向き合ってみてはいかがでしょうか。当時は気付かなかったことが見えてきたりして、結構面白かったりするものです。

 

ということで、本当に長々と書いてきた「変革185」、これにて(一応)完結です。次回は何を書こうかまだ決めていないのですが、そろそろ機関車ネタにも手を出してみようかなーと思ったり…。その時はまたコイツしょーもねえこと書いてんなーって感じでお付き合いいただけたら幸いです。

 

ではでは。