れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

【祝 鉄道開業150年】2022/5/24 京都鉄道博物館 Part1

前回の記事の続きです。

 

翌24日は再び京都へ。切符を受け取ったり荷物を預けたりして、激混みの山陰本線に乗車。隣の梅小路京都西駅で下車しまして…、

 

やって来ました。京都鉄道博物館です。

 

2年半前にも訪れましたが、その時は後の予定が詰まっていてゆっくり見られなかったので、今回は開館からじっくりと見ることにしました。

 


 

↓2年半前の記事はこちらから↓

 

om08amagi.hatenablog.com

 


 

この日は平日だったので空いているかなーと思っていましたが、遠足やら社会科見学やら修学旅行(?)で午前中はなかなか賑わっていました。それもそのはず、2022年は鉄道開業150年のメモリアルイヤーです!

 

ということで、まずは鉄道の歴史からじっくりと学んできました。最初に目に入って来るのがイギリスの発明家 ワットが1788年に製作したした"Rotative steam engine by Boullton and Watt"(ワットの複動式蒸気機関)を国鉄鷹取工場が再現した模型。蒸気がピストンを上げ下げして回転運動を発生させるというもので、これが蒸気機関車誕生の礎になりました。それから14年後の1802年、同じくイギリスの機械技術者 リチャード・トレビシックが世界初の蒸気機関車「ペナダレン号」を開発し、1804年には客車に乗った乗客の輸送に成功しています。国立ウォーターフロント博物館に「ペナダレン号」の模型があるそうで、いつの日か見に行きたいものです。

 

時は流れて1825年、イギリスに世界初の公共鉄道 "Stockton and Darlington Railway"(ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道)が誕生、5年後の1830年には世界初の旅客鉄道  "Liverpool and Manchester Railway"(リバプール・アンド・マンチェスター鉄道)が開業しており、これにまつわる2台の蒸気機関車の模型が京都鉄道博物館に展示されています。向かって右側が1825年に製作された"Locomotion"(ロコモーション号)、左側が1829年に製作された"Rocket"(ロケット号)です。

 

世界初の蒸気機関車「ペナダレン号」は平均時速3.9kmで走ったとのことですが、ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の蒸気機関車「ロコモーション号」の最高速度は時速19km(諸説あり)。当時主流であった馬車に勝る性能を見せつけ、鉄道の地位を確立させました。その4年後に製作された「ロケット号」は世界初の旅客鉄道、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の機関車で、こちらは最高時速46.6kmを記録しているとのこと。この2台を開発したのがイングランドのジョージ・スティーブンソン。蒸気機関車を使用した公共鉄道を実現させたことから「鉄道の父」と呼ばれています。また日本の新幹線などで採用されている1435mmの軌間、いわゆる「標準軌」を初めて導入した人物でもあり、その功績は計り知れません。

 

ちなみにこの2つの模型ですが、機関車の足元を見てみると「ロコモーション号」は当時主流だった魚腹形レール、「ロケット号」は双頭レールが再現されています。

 

そして1872年、日本の鉄道開業を迎えます。建設前は否定的な意見もあったようですが、一般国民の目にもわかるような「近代化」の形として鉄道の開業が推し進められました。建設にあたってはイギリスの技術者 エドモンド・モレルをはじめとするイギリスの援助を受け、日本では「日本の鉄道の父」井上 勝らの尽力があり、1872年6月12日に品川~横浜間が仮開業、そして1872年10月14日に新橋~横浜間の開業を迎えました。1872年からちょうど150年、今年は日本の鉄道にとって記念すべき年なのです。

 

ちなみに、エドモンド・モレルは現在の在来線の主流である1067mmの軌間、いわゆる「狭軌」の採用や、軌間を一定に保つまくらぎに木材を使用することを提言しており、今日の日本で見かける「線路」の姿を形作った人物であると言えるでしょう。

 

日本初の鉄道開業から17年が経ち、1889年7月1日に東海道本線新橋~神戸間が開通。その後も各地で鉄道の敷設が進み、日本の鉄道網は瞬く間に広がっていきます。当時の鉄道は国営の官設鉄道と民営の私設鉄道に分類され、1890~1900年頃の私設鉄道建設ブームが鉄道網の広がりに大いに貢献したのですが、1906年3月31日に公布された鉄道国有法によって大半の私設鉄道が官営鉄道に買収されることとなりました。もちろん鉄道国有法公布後に誕生し、私設鉄道として発展を遂げてきた鉄道会社も多く存在します。

 

そして1912年6月15日、新橋~下関間に日本初の特別急行列車の運行が開始されました。「1・2列車」として登場した特別急行列車は1929年9月15日に鉄道省の公募により「富士」と命名され、2009年3月13日の寝台特急 富士・はやぶさ廃止までの間、車両や編成を変えつつも日本の特別急行列車の代表格として走り続けました。

 

なお、現在の表記では「富士」は"FUJI"になりますが、京都鉄道博物館で展示されている「富士」のヘッドマークは1937年に公布された訓令式ローマ字に則った"HUZI"という表記になっています。

 

翌1930年には東京~神戸間で特急「燕」の運行が開始され、東京~神戸間を9時間で結びました。この「燕」の運行開始に際して、当時多くの幹線で主流だった37kgレールを50kgレールに交換する一大プロジェクトが行われました。この重軌条化により安定した高速走行が実現。「燕」の功績は計り知れません。

 

時は流れ、日本の鉄道にとって厳しい時代が訪れます。1937年の日中戦争を皮切りに1945年まで続いた第二次世界大戦で日本の鉄道は甚大な被害を受けることとなります。戦争による直接的な被害のほか、軍事関係の輸送で酷使したことも要因の1つだったようです。

 

その後、アメリカ軍による占領時代を経て、日本の鉄道は徐々に復興していきます。まず民主化政策の一環として、1949年4月1日に公共企業体日本国有鉄道」が発足。これまでは国が鉄道を直轄していましたが、政府が資本金を全額出資して設立した国の事業体(=公共企業体)に移管された形になりました。この日本国有鉄道こそがいわゆる「国鉄」であります。国鉄発足直後の1949年9月15日には戦後初の特別急行列車「へいわ」が運行を開始。1950年代は朝鮮戦争による特需もあり、鉄道の復興、そして発展がさらに進んでいきました。

 

ちなみに「へいわ」の隣に展示されているヘッドマークは米国陸軍第8軍司令官専用列車"Octagonian"(オクタゴニアン号)のテールマークです。米国陸軍第8軍は第二次世界大戦後における日本占領の実行部隊であり、日本の鉄道の管理も行っていました。つまり占領軍司令官の専用列車というわけです。すごいものが残っていたものですね…。

 

そして1956年11月19日、東海道本線東京~神戸間の電化が完成しました。日本の鉄道の電化は1904年に甲武鉄道飯田町~中野間の電化を皮切りに進められており(路面電車を含めると1895年に京都電気鉄道が開通している)、東海道本線も1925年に東京~国府津間が電化されています。しかしながら戦争による被害や戦後の混乱等もあり、東海道本線の全線電化は実に31年の歳月を要したのでした。この全線電化に伴い、特急「つばめ」は東京~大阪間を7時間30分で結ぶようになりました。

 

そして1958年11月1日、国鉄初の特急型電車151系(当時は20系)が特急「こだま」としてデビュー。最高時速110km、東京~大阪間を6時間50分で結び、東京と大阪の日帰りも現実的なものとなりました。また、電車は音が大きくて乗り心地も悪いというイメージを払拭し、「電車特急」の地位を確立させました。

 

1960年6月には特急「つばめ」も電車化されました。電車化に伴いマイテ58、いわゆる一等展望車が廃止となったため、代わりに大阪方の先頭車に二等特別席車「パーラーカー」を連結するようになりました。運転台後部に4人用の個室、その後ろに左右1列ずつのリクライニングシートが7列を配置。定員18名というプレミアムグリーン車もびっくりな車両となっています。

 

そのわずか4年後の1964年、日本の鉄道に革命が起こります。東海道新幹線の開業です。10月1日に東京~新大阪間が開業。「ひかり」「こだま」の2本立て体制で、最高速度は時速200km。「ひかり」は4時間、「こだま」は5時間で東京~新大阪間を結ぶ、まさに「夢の超特急」が誕生しました。

 

東海道新幹線の開業とともに都市と地方を結ぶ在来線特急網が広がっていく一方、自動車や航空機との競合やローカル新線建設の強行により国鉄の財政は悪化の一途を辿っていくことになります。再建計画が持ち上がったものの、省力化・合理化・運賃値上げで結局は利用客が減少するという負のスパイラルに陥り、遂に限界が訪れます。

 

その結果、1987年4月1日に国鉄JRグループへと生まれ変わったのでした。エリアごとに分けられた6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社に分割され、現在に至るというわけです。

 

 

ということで、蒸気機関車の誕生からJRの誕生までをざっくりと振り返ってみました。日本の鉄道開業から150年、東京~新大阪間の所要時間は2時間30分まで短縮された一方で、「鉄道に乗る」ことそのものを目的とした豪華列車も数多く誕生しました。僅か150年でこの変わり様です。50年後、日本の鉄道開業200周年の時には、鉄道はどんな姿になっているのでしょうか…。

 

Part2へつづく。