れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

2022/5/24 京都鉄道博物館 Part2

Part1の続きです。

 

だいぶ間が空いてしまいましたが、引き続き京都鉄道博物館の話題を書いていきます。前回は【祝 鉄道開業150年】と題して、蒸気機関車の誕生からJRの誕生までの歴史を紹介しました。今回は京都鉄道博物館に展示された貴重な車両たちの紹介です。

 

 

まずはエントランスホール直結のプロムナードから。エントランスから入場すると、まず3両の車両が目に入ってきます。左から蒸気機関車、電車、新幹線という並び。鉄道車両の進化を一目で見て取ることができます。

 

向かって左に展示されているのが蒸気機関車代表 C62 26。東京~大阪間を結んでいた特急「つばめ」「はと」などの牽引に使用されていた機関車です。現役引退後はかつて大阪にあった「交通科学博物館」で展示されていた車両ですが、京都鉄道博物館の開館に伴い京都の地へとやって来たそうです。

 

その隣に展示されているのが国鉄80系電車 クハ86形1号車です。「日本初の長大編成電車」として誕生した80系。東海道本線において最大15両編成で運用されていたようです。京都鉄道博物館で保存されているのは、1956~1957年に製造された100番台(クハ86形)の1号車と200番台(モハ80形)の1号車の合計2両。80系と言えば「湘南形」でおなじみの前面2枚窓の車両を思い浮かべますが、なぜかこちらは1両も保存車両が存在せず、前面3枚窓のクハ86形のみが京都の地で保存されています。

 

その隣には言わずと知れた「夢の超特急」0系の姿があります。東京~新大阪間を4時間で結び、時間の概念を変えたといっても過言ではない「新幹線」。その初代営業用車両であるの0系の功績はもはや説明するまでもないでしょう。そしてこの0系21形1号車は1964年に製造された0系トップナンバー編成の大阪方先頭車です。京都鉄道博物館にはこの0系21形1号車を含む4両の0系が保存されています。

 

反対側の0系22形1号車(東京方先頭車)は運転台と車内が公開されていました。これが「夢の超特急」0系の運転台です。

新幹線車両は一般的な「電車」とは異なり、右側にマスターコントローラー(いわゆる「マスコン」・自動車でいうアクセル)、左側にブレーキハンドルという構造になっています。また、一般的な電車のマスコンはノッチ(刻み)が4~5段となっていますが、0系のノッチは10段まで設けられています。走行する速度域の広さ故にこれだけの段数があるのだと思われます。

 

こちらは0系22形1号車の車内。他の3両は当時の内装のままに展示されているようですが、こちらは展示室となっています。

 

この他の2両は、0系16形1号車(グリーン車)と0系35形1号車(食堂車)で、いずれも東海道新幹線開業当初から活躍している貴重な車両です。

 

そして0系の後継車である100系の先頭車も館内に展示されています。「シャークノーズ」と呼ばれた先頭車構造が特徴的な東海道・山陽新幹線の2代目営業用車両です。国鉄で初めて2階建車両を導入した形式でもあり、速達性のみならず居住性の面でもサービスアップを実現しました。

 

京都鉄道博物館に保存されているのはJR西日本所属のK54編成の東京方(山陽新幹線新大阪方)先頭車 100系122形5003号車で、2012年4月まで山陽新幹線で活躍していた車両です。製造当初はV3編成の東京方先頭車100系122形3003号車でしたが、2002年に6両編成に短縮されてK54編成となり、100系最末期まで本線上を駆け抜けた車両の1つとなりました。

 

そして京都鉄道博物館には新幹線がもう1両保存されています。

 

500系521形1号車です。本館に入ってすぐの場所にクハネ581 35・クハ489 1と共に展示されています。京都鉄道博物館の展示車両と言われればまずこの3両が並んでいる光景が思い浮かびます。

 

500系新幹線はJR西日本が開発した新幹線車両で、0系・100系300系に次ぐ東海道・山陽新幹線の4代目営業用車両です。当時世界最速であった時速300kmでの営業運転を実現させたことで知られています。

 

最大の特長は「ジェット戦闘機」などと形容される15mのロングノーズと円筒状の車体。時速300kmでの営業運転を実現すべく、高速性能を徹底的に追求しています。ちなみに、性能的には時速320kmでの営業運転も十分に可能となっていますが、非常制動距離等の問題から余裕を持たせて時速300kmが営業最高速度になったそうです。

 

1997年3月22日の「のぞみ503号」でデビューを飾った500系。同年11月29日からは東海道新幹線での運用を開始しています。時速300kmでの営業運転を実現させて多大なインパクトを与えた一方で、高速性能を極限まで追求したが故に生じた居住性の問題や他形式との座席数の違い(特に東海道新幹線内)が次第に問題視されるようになってきます。その結果、2010年2月28日をもって東海道新幹線から撤退。8両編成に短縮されて山陽新幹線内でのみ運用されるようになり、現在に至ります。

 

「時速300km」というインパクトと、スピード感溢れる外観、そして「東海道・山陽新幹線=白と青」の常識を覆したグレーとブルーの塗装。全盛期の頃に比べると現在の姿にはどうしても物足りなさを覚えますが、500系という車両が記憶にも記録にも残る新幹線のレジェンド的存在であったことは間違いないでしょう。

 

 

さて、新幹線の話題はここまでにしまして、ここからは本館の貴重な車両たちをご紹介していきます。

 

まず本館の入口正面に展示されているこの蒸気機関車。230形233号機というそうで、1903年に日本で製造された初めての量産型蒸気機関車です。日本の鉄道開業が1872年ですから、開業からしばらくは海外から輸入された機関車が主力だったというわけですね。

 

大宮の鉄道博物館の車両ゾーン展示入口正面には「1号機関車(150形蒸気機関車・日本の鉄道開業時にイギリスから輸入された機関車)」が展示されていますが、それと双璧をなす存在と言ったところでしょうか。どちらも国の重要文化財に指定されている、たいへんに貴重な機関車です。

 

そして本館にはもう1両蒸気機関車が展示されています。こちらは1800形1801号機、1881年にイギリスから輸入された機関車です。

 

機関車自体が貴重なのは言うまでもないのですが、足元を見てみると当時使用されていたと思われる双頭レールがそのままに展示されています。こういった部分も含めて1つの展示となっているわけですね。

 

その脇には鉄道開業時の新橋停車場の石材の一部も展示されています。これもまたたいへんに貴重なものだと思われますが、石にはあまり詳しくないもので…。

 

続いて本館のメインと言ってもいい車両の紹介です。一番左の500系は上の方でアツく語ったので割愛しまして…、

 

この2両を見ていきましょう。

 

まずはクハネ581 35から。581・583系は、逼迫する輸送需要と車両増加に伴う車両基地不足への切り札として、1967年から1972年にかけて製造されました。昼間は座席車、夜間は寝台車として運用できる「昼夜兼用電車」として誕生。最初に投入された列車が新大阪~博多間を結ぶ特急「月光」であったことから、「月光型」の愛称で親しまれています。

 

1967年に直流・交流60Hz対応の581系の製造が開始され、翌年1968年からは直流・交流50Hz/60Hz対応の583系の製造も開始されました。なお、583系登場後も対応周波数に関係のない車両(先頭車・付随車)は1970年頃まで581系として製造され続けたため、581系583系が混在している編成が多数存在します。このクハネ581 35が組み込まれていた編成も動力車は583系でした。

 

1967年に昼行特急「みどり」寝台特急「月光」としてデビューした581系。翌1968年には583系が昼行特急「はつかり」、寝台特急はくつる」「ゆうづる」としてデビューを飾っています。

 

西は南福岡電車区(後に向日町運転所に転属)、東は青森運転所に配属された581・583系。向日町運転所所属の車両は関西対北陸・九州の列車に充当され、北は富山、南は西鹿児島まで運用範囲を拡げていましたが、列車そのものの廃止や昼夜兼用であるが故の問題点(コスト・設備等)が浮き彫りになり、次第に活躍の場が狭まっていきます。そして1985年3月のダイヤ改正以降は大阪~新潟間を結ぶ急行「きたぐに」が唯一の定期運用となってしまいました。しかしながら車両自体は比較的長く大切に使われており、民営化後には延命工事も受ることとなり、波動輸送等に従事しながら2013年1月改正の「きたぐに」廃止まで走り続けました。

 

青森運転所の車両についても、前述の理由や過酷な運用による車両の老朽化によって活躍の場は徐々に狭まり、1994年12月をもって定期運用が消滅したものの、こちらも民営化後に更新工事を受け、所属を転々としながら波動輸送に従事し続けました。その後、2017年4月のさよなら運転をもって全廃となりました。

 

このクハネ581 35は急行「きたぐに」用として最後まで走り続けたB6編成の新潟方先頭車で、定期運用の大阪行き最終便に充当された車両です。京都鉄道博物館での展示にあたってデビュー当時の塗装やJNRマークが復刻されましたが、いつかまた「きたぐに」末期時代の姿を見てみたいものですね。

 

続いてクハ489 1。489系は国鉄が1964年から1979年に製造した交直流特急形電車485系グループの一員で、485系碓氷峠におけるEF63との協調運転装置を付加する形で1971年に誕生しました。初期型と呼ばれる1971~1972年に登場した489系は先頭車がボンネット型で製造され、向日町運転所に配置されました。

 

その後、1973年に金沢運転所に転属。「白山」を中心に「しらさぎ」「加越」「北越」などで活躍しました。1993年3月改正で受け持った急行「能登」が最後まで残った定期運用となり、2010年3月の臨時化まで担当し続けました。その後、2011年3月に行われたさよなら運転で引退、H01編成のクハ489 1のみがこの京都鉄道博物館で保存されることとなりました。

 

このH01編成は「能登」や間合いで受け持っていた上野口の「ホームライナー」のほか、舞浜臨などで首都圏に頻繁に顔を出しており、金沢運転所所属でありながら関東民にとっても馴染み深い車両だったりします。

 

ところで…、

 

このクハ489 1が組み込まれていたH01編成はこの「白山色」で活躍していた時代があり、2019年10月14日から2020年2月25日までクハ489 1に白山色のラッピングを施した姿を見ることができました。

 

これは本当にかっこよかったです。是非また見たいですね…。

 

ところで、京都鉄道博物館にはもう1両ボンネット型の特急形電車が展示されています。

 

それがこの151系…、のモックアップです。かつて東海道本線の特急「こだま」「つばめ」で活躍した車両です。

その功績は前回の記事にも書いた通りで、東京~大阪間の日帰りを現実のものとしたほか、「電車特急」の地位を確立させた偉大なる車両です。

 

せっかくなので運転台も見学してきました。モックアップとは言えど、実によくできていますね…。

 

続いて同じく国鉄特急色を纏うキハ81 3。日本初の特急形気動車です。1960年に製造され、上野~青森間の特急「はつかり」としてデビューを飾りました。

 

151系や489系と同様に先頭車はボンネット型となっていますが、こちらはお世辞にもスタイリッシュとは言い難い外観で、「ブルドッグ」なんて呼ばれていたとかなんとか。また、運用開始直後は初期トラブルが続発し、「はつかり がっかり 事故ばっかり」と揶揄されていたことは有名な話です。とは言えど、日本初の特急型気動車として非電化路線の高速化に大きく貢献したことは間違いありません。

 

そんなキハ81 3の隣には3両の車両が並んでいます。

 

まずDD51 756から。DD51形と言えば全国の蒸気機関車を置き換えた無煙化の立役者。梅小路蒸気機関車館と隣接しているこの地に保存されていると、なんとなく肩身が狭そうに思えてきます。

 

続いて国鉄初の新性能電車101系…、のモックアップ。ドアの開閉やパンタグラフの昇降を体験できます。この101系と先ほど紹介した151系モックアップは、プロムナードに展示されているC62 26などと同様にかつて交通科学博物館で展示されていたものだそうです。

 

そして国鉄最強の直流電気機関車EF66です。高速道路網の拡充でシェアを拡げていたトラック輸送への切り札として登場し、東海道山陽本線高速貨物列車に投入されました。

 

定格出力は3900kW、当時EF65F形の重連で運転されていた列車をEF66形1両で置き換えてしまうほどのハイパワーっぷりです。

 

その実力が買われ、1985年3月からは編成の長大化でEF65形での牽引が難しくなった東京発着のブルートレイン牽引機に抜擢。貨物機として生まれながら寝台特急の先頭にも立った、稀有な存在の機関車です。

 

この35号機はブルートレインの先頭には立たずにずっと貨物機として活躍してきた機関車ですが、現役引退後にJR西日本に譲渡され、この京都鉄道博物館の地で展示されることと相成りました。展示に際して登場時の塗装に復刻、運転台上の冷房装置を取り外しなどが行われています。

 

なお、このEF66 35とDD51 756は下に通路が設けられており、床下をじっくりと堪能することができるようになっています。

 

機関車繋がりでは、国産初の大型電気機関車 EF52も展示されています。その後に登場する電気機関車の礎となった存在であり、機関車の国産化を大きく推進しました。

 

さて、本館の展示車両で最後に紹介するのはヨ5000形5008です。ヨ5000形は汐留~梅田間で運転されていたコンテナ特急「たから」の車掌車で、従来の車掌車では対応できなかった時速85kmでの高速運転に対応しています。ちなみに、前にくっついている車両はワム3500形7500で、1917年に製造された100年以上前の有蓋貨車です。

 

行灯型のテールサインを掲げて走っていたそうで、今でいうスーパーレールカーゴ的な存在だったのでしょうかね。

 

 

以上が本館に展示されている車両になります。車両に歴史あり、調べてみるとどの車両も本当に貴重な存在であることがよくわかります。

 

さて、最後にプロムナードの車両をもう少しだけ。

 

こちらは国鉄の通勤型電車の代表格 103系。全3447両が製造され、同一形式の車両数は日本一となっています。そんな103系の貴重なトップナンバーであるクハ103 1ですが、前回訪れた時と何か雰囲気が違う気がしたので写真を掘り返してみたところ…、

 

前回見た時は前面窓下のJRマークと車番がなかったんですね。賛否両論あるとは思いますが、JRマークがあると引き締まって見える気がします。

 

その隣にはDD54 33。亜幹線用として誕生したディーゼル機関車で、まるで外国の機関車のような外観が特徴です。残念ながら事故や故障が頻発して、登場からわずか10年余りで全車両が運用を離脱するという悲劇的な事態に見舞われましたが、お召列車や寝台特急「出雲」の牽引といった晴れ舞台に立った実績があることも事実です。

 

プロムナードに隣接しているトワイライトプラザには一瞬だけ立ち寄りました。前回訪れた際に色々と書いた記憶があるので、ここは割愛させていただきます。

 

この他にも京都鉄道博物館には貴重な車両が多数保存されています。今回全く触れられなかった客車も貴重なもの揃いなのですが、とても1日では見切れなかったので次回訪問時のお楽しみにしておこうと思います。

 

 

以上、京都鉄道博物館の展示車両の紹介でした。次回は車両以外の展示について書いていきます。

 

Part3へつづく。