れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

2022/8/6 再訪・京都鉄道博物館 Part1

コミケの約1週間前のこと。夏休み真っ盛りの東海道新幹線の運転間隔にビビり散らしつつ西へ。2ヶ月半ぶりに京都に行ってきました。

 

3日間で色んなところを見て回ってきましたが、京都と言えばやっぱり京都鉄道博物館…、ということで前回見切れなかった部分を見るべく再訪して参りました。まさか1年で2回京都鉄道博物館の記事を出すことになるとは思いませんでしたが、最後までお付き合いいただけたらなと思います。

 


 

↓前回訪問時の記事はこちらから↓

 

om08amagi.hatenablog.com

 


 

まずは前回同様【鉄道のあゆみ】エリアからスタート。

 

1825年、イギリスに世界初の公共鉄道 "Stockton and Darlington Railway"(ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道)が開業し、5年後の1830年には世界初の旅客鉄道 "Liverpool and Manchester Railway"(リバプール・アンド・マンチェスター鉄道)が開業。この2つの鉄道会社にまつわる蒸気機関車の模型が京都鉄道博物館にも展示されているというのは前回もご紹介しましたが、今回注目したいのはその足元です。

 

まずはこちらの "Locomotion"(ロコモーション号)。

 

よく見るとレールの中央部が湾曲しています。これは当時使用されていた「魚腹形レール」で、文字通りレールの中央部が魚のお腹のような形状になっているのが特徴です。

 

また、この魚腹形レールの採用と共にそれまでレール側にあったフランジ(脱線を防止するための出っ張り)を車輪側に設けてレールの上面を平坦にすることで、それまで多発していた曲線区間等での脱線を大幅に減らすことができたとのこと。鉄道の安定輸送を実現させた革命的なレールです。

 

続いて "Rocket"(ロケット号)。

 

こちらはレールの頭部と底部が同じ形をしている「双頭レール」が再現されています。

 

当時はまだ高価であったレールを少しでも長く使用すべく、頭部が摩耗したらひっくり返して使えばいいじゃない的な発想で誕生した双頭レールですが、いざひっくり返してみたら底部も摩耗していましたという何とも悲しいオチがついています。しかしながら、19世紀頃のイギリスではこの双頭レールが一般的に使用されており、我が国日本でも1872年に開業した新橋~横浜間の日本初の鉄道においてこのレールが使用された実績があります。

 

なお、この「ロケット号」が誕生した当初はまだ双頭レールが開発されていなかったそうですが、後にレールの置き換えが行われて「ロケット号」も双頭レールの上の走行した実績があるのではないかと言われています。

 

 

この先の鉄道の歴史は前回ご紹介しましたので割愛しまして…、

 

続いてこちら。「鉄道連絡船国鉄バス」です。3回目の訪問にして初めて存在に気付いた展示です。

 

国鉄バスの変遷、そして青函連絡船「八甲田丸」の模型が展示されています。

車両甲板も精密に作られています。1908年の就航から1988年の青函トンネル開業まで80年間にわたって青函連絡を担ってきた八甲田丸。実物が青森に係留保存されているとのことで、いつか見に行ってみたいものですね。

 

そして個人的な注目ポイントがこのジオラマ…。

 

昭和30年代の宇野港周辺のジオラマです。

 

1910年の国鉄宇野線開業に合わせ、それまで主流であった岡山~高松間の航路を改良する形で誕生した「宇高航路」。以来、瀬戸大橋が開通する1988年まで本州・四国連絡の基幹を担ってきました。そんな宇高航路の本州側、宇野の港がジオラマで再現されています。

 

港の部分を中心に再現しているため小型の蒸気機関車やDD13の貨物が目立ちますが、昭和30年代ということは既に東京~宇野間の急行「瀬戸」が走っていたわけですね。そのほか、東京~宇野間の電車特急「富士」、大阪~宇野間の特急「うずしお」、同じく大阪~宇野間の準急「鷲羽」なんかが走っていた頃でしょうか。港だけでなく駅の方も華やかであったことと思われます。

 

上から見た様子です。特徴的なくぼみがしっかりと再現されています。

 

宇野駅と宇野の港のジオラマ宇野駅前の玉野産業振興ビルにも展示されているそうで、こちらは近々訪問したいなと考えているところです。

 

 

続いては本館のど真ん中、ワム3500 7055…、

 

…、の足元。かつての操車場で見られた「カーリターダー」が展示されています。

 

貨車に地上側からブレーキをかける装置がこの「カーリターダー」です。こちらに展示されているのは車輪の側面から圧力をかけることで貨車を減速させるユニオン式と呼ばれるもの。日本で使用されていたものは全て消滅しており、たいへんに貴重な展示品となっています。

 

 

こんな話題がまだまだ続きます。続いては【鉄道の施設】エリア。

 

保線作業に使用する機械等が実際の線路の上に展示されているのですが、末端の一部分のみ標準軌になっています。狭軌標準軌の差が一目でわかるわけですが…、

 

このレール、1970年に新日本製鉄で製造された60レールのようです。日本で初めて60レールが採用されたのが1972年の山陽新幹線岡山開業時と言われており、ちょうとその時期に製造されたレールということになります。

 

線路の次は橋です。こちらは桜島線安治川口桜島間に架かっていた北港運河第一橋梁の模型。「跳開式可動橋」と呼ばれるもので、船舶が通行する際には橋が跳ね上がります。この北港運河第一橋梁は片側のみが持ち上がる「一葉跳開橋」だったようです。もちろん橋の両側が開く「二葉跳開橋」も存在し、現在も隅田川に架かる勝鬨橋がその代表例でした(現在は跳開しませんが)。

 

ってことで、しっかりと跳ね上がります。よくできた模型です。

 

橋を架けるにあたって船舶の通路をどのように確保するかは大きな問題のようで、北港運河第一橋梁のように跳ね橋にすることも1つの手ですが…、

 

こちらの安治川口橋梁は川に支柱が一切ない構造となっています。船舶の通行量の多い箇所だったとのことで、構造を工夫することで船舶の通り道を確保していたようです。

 

 

話は再び線路に戻りまして、こちらは前回もご紹介した軌道自転車体験のコーナー。日本に存在するありとあらゆる軌道で敷設された夢のような区間です。前回の訪問時に上から撮るのを忘れていたので、しっかりと撮ってきました。

 

手前のバラスト軌道の区間だけを見ても、コンクリートまくら木、木まくら木、鉄まくら木…、と様々なまくら木で構成されています。

 

ちなみに末端部分は伸縮継目になっています。レールが外気温によって伸縮するのは有名な話ですが、200mを超えるロングレールはその伸縮の幅が大きくなってしまうため、このようにレール同士を斜めに重なり合わせる伸縮継目を採用するのが一般的となっています。

 

ところで、この日は土曜日だったので本来であれば軌道自転車の体験が行われているわけなのですが、故障?点検?のため体験中止となっていました。

 

 

展示車両の話も少しだけ。EF66 35に「はやぶさ」のヘッドマークが取り付けられていました。

 

貨物機として誕生したEF66ですが、晩年はブルートレイン牽引機として成功を収めています。この35号機がブルートレインを牽いた実績があるのかはわかりませんが、よく似合っていますね。

 

 

さて、1階の展示はこのあたりにして2階へ。

 

【列車に乗ろう】エリアに「パーラーカー」の座席が展示されていました。今更気付いたんかいって感じですが…。

 

こちらは現代のパーラーカー、グランクラスの座席。航空機のファーストクラスに匹敵する豪華さです。座席1つをとっても進化が見て取れますね。

 

 

続いて3階のスカイテラスへ。

 

ここでは京都駅周辺を行き来する列車を眺めることができます。奥には東寺の五重塔も見えます。

 

大宮の鉄道博物館も屋上はテラスになっていますが、ガラスがない分こちらの方が写真は撮りやすいように思います。

 

左に目をやると梅小路運転区京都タワーが。留置中の221系と3両の客車、DE10の姿もチラっと見えます。

 

客車の方は手前からオハ46 13、オハ25 551、カニ24 12。オハ46 13は梅小路の地で長らく保存されている旧型客車、オハ25 551とカニ24 12は「トワイライトエクスプレス」で使用されていた客車です。トワイライトプラザに展示されているスシ24 1とスロネフ25 501と合わせて計4両が京都鉄道博物館に保存されています。電源車・サロンカー・食堂車・寝台車をそれぞれ1両ずつ残したってところでしょうか。

 

嵯峨野観光鉄道トロッコ列車の予備機となっているDE10 1156の姿もありました。

 

下に降りてもう1枚。DE10 1156の横にはDE10 1118。なんともときめくナンバーです。

 

 

さて、だいぶ長くなってしまったので一旦ここで切ります。次回は梅小路蒸気機関車館と特別展示の模様をご紹介します。

 

Part2へつづく。