れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

2024/8/18 石巻南浜津波復興祈念公園・門脇小学校・旧野蒜駅

前回の記事の続きです。

 

om08amagi.hatenablog.com

 


 

翌日はレンタカーを借りまして、少し北を目指します。

 

仙台東ICから仙台東部道路に入りまして、仙台港北ICから三陸沿岸道路へ。

 

宮城県仙台市から青森県八戸市へ至る三陸沿岸道路。全長は359km、三陸縦貫自動車道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道の3路線から成る一般国道自動車専用道路および地域高規格道路です。日本最長の連続無料区間を有する道路として有名で、成瀬奥松島IC~八戸是川ICの約339kmを無料で通行することができます。

 

この「三陸沿岸道路」の名称は2011年度から使用されているもので、東日本大震災からの復興を目的とした「復興道路」に位置付けられています。未開通区間の早期開通と既存の一部区間の4車線化が進められ、2021年12月18日の下閉伊郡普代村第16地割~久慈市新井田間の開通をもって全線開通となりました。

 

台北港ICから桃生豊郷ICまでは4車線の高規格区間が続きます(多賀城IC~利府JCT間は6車線)。ちなみに先ほどの写真はだいたいこのあたりで撮影したものになります。

 

30分ほど走りまして、石巻港ICに到着。ここから海へ向かって下道を進みまして、最初の目的地へ。

 

石巻南浜津波復興祈念公園です。

 

2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震。国内観測史上最大となるM9.0を記録し、最大震度7の強い揺れと大津波により多くの犠牲者が出た、戦後最悪の自然災害です。

 

私は当時小学生でしたが、突然の強い揺れと震源が東北と聞いた時の衝撃、そして帰宅後にテレビで観た大津波の映像に血の気が引いたことを今でも覚えています。

 

この震災で国内最大の被災市となった宮城県石巻市。特にこの南浜地区は津波、火災、地盤沈下の複合的な被害に見舞われた地域です。かつては住宅街だった跡地を整備し、震災から10年後の2021年3月に「石巻南浜津波復興祈念公園」として開園しました。

 

公園内には国営の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」があり、津波の記憶と教訓を未来へ伝え続けています。

 

続いて公園から道路を挟んだ向かい側へ。

 

震災遺構 門脇小学校です。現在344件ある震災伝承施設の中で、唯一「津波火災」の痕跡を残す遺構です。とにかく上へ上へ逃げるという垂直避難は時として全く通用しないという教訓を伝え継いでいます。

 

火災の被害を受けた校舎は中央部が残されており、屋内運動場と特別教室棟は展示館として整備されています。展示館には門脇小学校の被災状況、そして石巻市の被害状況が数多くの資料、そして「言葉」とともに展示されています。

 

 

続いて一旦松島を経由しまして、この日最後の目的地へ。

 

東松島市の震災遺構、旧野蒜駅です。かつては奥松島・野蒜海岸への玄関口として賑わっていた、仙石線の駅です。当時の仙石線陸前大塚~陸前小野間は海岸線に近接しており、特にこの野蒜駅と隣の東名駅東日本大震災の大津波により壊滅的な被害を受けました。

 

駅としての機能を失った野蒜駅。構内の瓦礫は自衛隊在日米軍による「ソウルトレイン作戦」によって翌月の4月に撤去されました。そして翌年2012年1月に陸前大塚~陸前小野間の内陸移設が決定し、残された旧野蒜駅の駅舎とプラットホームは震災復興伝承館として活用されることになりました。

 

 

プラットホームの周辺は舗装されており、9:00~17:00の間は柵の内側で見学することができます。「電車はもう通りませんが」の文字が心に突き刺さります。

 

ホーム上に立ち入ることはできませんが、間近に見ることができます。

 

 

剥がれた誘導タイルや曲がった駅名標がそのままに残されています。

 

 

2番線側の線路は大きく曲がってしまっています。

 

そして宮城県の様々な場所で目にする津波浸水表示板。人の身長など遥かに超える3.7mという数字に言葉を失います。

 

震災発生直前、この野蒜駅から2本の列車がそれぞれの目的地へ向けて発車していきました。下りの快速 石巻行きと上りの普通 あおば通行き。2本の列車は野蒜駅発車直後、強い揺れに見舞われ緊急停車しました。2列車の停止位置は1kmほどの距離であったといいます。

 

上り列車の乗客と乗務員は指定避難場所の野蒜小学校へと避難しましたが、避難場所である小学校にも津波が押し寄せたのです。一方の下り列車は、停止位置が高台であったことから野蒜小学校に避難せず車内に留まることを選択し、津波を免れました。

 

想定外の事態を前にしたとき、どのように行動すべきかを判断するのは容易ではありませんが、このように過去の教訓を知るということが正しい判断にたどり着くための第一歩なのかなと思います。

 

 

ホームを見学した後は野蒜駅の旧駅舎へ。現在は「東松島市震災復興伝承館」として様々なものが展示されています。

 

 

自動券売機や案内表示板、

 

崩れ落ちた「野蒜駅」の文字。

 

そして旧野蒜小学校の屋内運動場にあった時計。時計の針は14時48分を指し続けています。

 

2階のデッキからはプラットホームと、

 

震災復興伝承館からの景色を見ることができます。

 

 

景色を眺めているうちに気付けば閉館時間。再び三陸沿岸道路を進み、仙台駅へと戻りました。

 

この日は3つの震災伝承施設を訪れましたが、どの施設の方々もとても親切にしてくださったことが強く印象に残っています。東日本大震災から13年、未だ震災の爪痕が残るところもある中で、再び津波が押し寄せたときに同じ混乱を繰り返さないよう、記憶と経験が語り継がれています。

 


 

レンタカーを返したあとは夕飯を食べまして、東北新幹線で東京へ。これにて2日間の旅は終了です。運転ありがとうございました。

 

以上です。