前回の記事の続きです。
翌日は少し早起きして仙石線へ。時刻表を見間違えて1時間早い仙石東北ラインに乗ったことに現地でようやく気付く程度には寝不足でしたが、1時間遅く来るよりは断然マシということで。
現地に着くとすぐに「マンガッタンライナーⅡ」が通過。宮城県出身の漫画家 石ノ森章太郎氏の作品のキャラクターが全面にラッピングされています。
2003年に登場した「マンガッタンライナー」。当初は205系M8編成の1本のみでしたが、2008年にM2編成が「マンガッタンライナーⅡ」として運行を開始、2022年には最新鋭のHB-E120形C-1・C-2編成も仲間入りし、現在は4編成体制となっています。
また、かつて石巻線を走ったキハ48形にも「マンガッタンライナー」が存在していました。2013年3月から走り始めたこのラッピング車両。東日本大震災により石巻に来られなくなった仙石線の「マンガッタンライナー」の代わりに復興のシンボルを務め上げ、2015年5月30日の仙石線全線復旧を見届ける形で引退となりました。運行終了の2ヶ月ほど前にたまたま撮影していたようです。
5531D 快速 石巻 HB-E210系C-3+C-*編成 陸前小野~鹿妻
続いてHB-E210系が通過。青天下で撮影したのは甲種輸送以来です。
そして石巻行きの205系。数少ないダブルパンタのM12編成でした。初めて地下区間以外で撮影しましたが、本当にかっこいいです。
5533D 快速 石巻 HB-E210系C-8+C-*編成 陸前小野~鹿妻
1時間早く来たので立ち位置を変えてもう1本ずつ撮影。首振りも様になります。
そして205系。本当にかっこいいです。乗ってよし、撮ってよし。本当に素晴らしい車両です。
これだけ撮れればもう言うことなしということで撤収。
駅に戻る途中、遠方信号機を見かけたので少し観察してきました。
なかなか東京ではお目にかかる機会の少ない遠方信号機。通常の信号機と異なり背板が四角いのですぐに見分けがつきます。
中継信号機と同じ従属信号機の仲間ですが、中継信号機が主信号機の現示をそのまま予告しているのに対し、遠方信号機は主信号機(基本的に場内信号機)より1つ下位(緩い)のものを現示します(ただし主信号機がG(進行)のときは遠方信号機の現示もG)。例えば場内信号機がR(停止)であれば遠方信号機の現示はY(注意)になります。そんなわけで遠方信号機自体が停止を現示することはないので、赤信号が存在しないという世にも不思議な信号機となっています。
中継信号機も遠方信号機も主信号機の見通しが悪い箇所に設置されますが、遠方信号機は自動閉塞式以外の運転方、あるいは特殊自動閉塞方式(交換駅間を1閉塞としてシステムを簡略化した方式・仙石線 東塩釜~石巻がこれを採用している)の区間に設置されます。あくまでも従属信号機なので遠方信号機自体に防護区間はありませんが、現示に対する速度制限はあるという、これまた不思議な信号機です。
写真の遠方信号機は陸前小野駅の場内信号機に従属しています。左奥に見える2つの場内信号機のうち左側の主本線に対するものが進行を現示すれば遠方信号機も進行を現示し、右側の副本線に対するものが注意を現示すれば遠方信号機はYG(減速)を現示します。
そんな信号機を横目に歩きつつ、陸前小野駅へ。
先ほど撮影したM12編成が副本線に入っていました。
東日本大震災により甚大な被害を受けた仙石線。特にこの陸前小野から陸前大塚に至る区間は海岸線に近接していたこともあり、津波によって壊滅的な被害を受けました。
陸前小野駅自体は震災翌年の2012年3月に復旧しましたが、ここから陸前大塚までの区間は大規模なルート変更が行われ、復旧に時間を要しました。そして2015年5月30日、仙石線最後の不通区間となっていた陸前小野~高城町間が復旧し、全線での運転を再開しました。
かつては陸前小野駅を出て大きく左手にカーブして旧野蒜駅・旧東名駅を通って陸前大塚駅に至るというルートでしたが、鳴瀬川橋梁の先から緩やかな左カーブを経て山間を貫き、陸前大塚へ至るルートに変更されました。陸前小野駅のホームからも新しい高架区間を見ることができました。
2020年3月の常磐線 富岡~浪江間の復旧を以て東日本大震災による鉄道の不通区間は全て解消となりましたが、仙石線の旧線区間は一部の設備が被災当時のまま残されており、震災遺構として自然災害の恐ろしさを後世に語り継いでいます。
この後は仙石東北ラインに乗り込み一路岩切へ。仙台レールセンターを目指します。
つづく。