れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

2022/11/21 リニア・鉄道館 Part2

Part1の続きです。

 


 

続いては新幹線車両以外の展示車両のご紹介です。

 

まずはED11形電気機関車から。聞いたこともないような形式です。国鉄よりもさらに前、鉄道省時代にアメリカから輸入された機関車だそうで、1号機と2号機の2機しか存在しません。製造は1922年、今年でちょうど100歳ですね。

 

リニア・鉄道館に展示されているのは2号機。1923年に東海道本線電化用に輸入され、本線上で活躍したのち浜松工場の入換機となり、1976年頃まで活躍していたとのこと。その後、リニア・鉄道館の前身とも言える佐久間レールパークにて保存され、最終的にこのリニア・鉄道館にやって来たというわけです。

 

で、片割れの1号機はどうなったのかというと、こちらは西武鉄道に譲渡されて貨物列車の牽引に使用されていたとのこと。形式こそE61形に変わりましたが、現在も横瀬車両基地で保存されており、イベントの際にお目にかかることができるようです。

 

 

そんなED11の後ろに展示されているのがED18形電気機関車。製造は1923年ですが、イギリスから輸入されたED50形をED17形に改造し、ED18形に再度改造して今に至るというとんでもない経歴を持っています。

 

1955年のED18形改造後は飯田線の貨物列車牽引に使用され、1976年頃まで活躍。本線撤退後は前述のED11 2を置き換える形で浜松工場の入換に従事し、ED62 14の入換機転用をもって一度車両としての役目を終えます。

 

その後は浜松工場で長い眠りについていたのですが、1992年に飯田線のイベント列車「トロッコファミリー号」の牽引機として白羽の矢が立ち、再び本線上に戻ることとなります。結局2005年頃まで活躍し、最終的にこのリニア・鉄道館の保存車両になりました。JR6社の中で真っ先に機関車の全廃に踏み切ったJR東海ですが、こんなにもレトロな機関車をイベント用に復活させてしまうような時代もあったのですね…。

 

ちなみに改造元となったED17形は大宮の鉄道博物館に保存されていたりします。

 

 

ED18の後ろには車両展示エリア唯一の蒸気機関車、C57 139が鎮座しています。たいへんに多くの保存機がいるC57形蒸気機関車、なんだったら動態保存機としてバリバリ現役の車両もいるわけですが、この139号機はお召列車の先頭にも立った名古屋機関区のエース的存在だったようです。

 

車両展示エリアの「蒸気機関車」はこの139号機のみですが…、

 

その後ろに「蒸気動車」ホジ6005形がいます。まず蒸気動車というものの存在すら知らなかったのですが、要するに蒸気機関車の走行機能を備えた客車とのこと。SL銀河の客車もビックリの元祖自走式客車です。

 

製造は1913年、ホジ6014として誕生しました。あまり聞き慣れない「ジ」の記号は自働の頭文字から来ており、汽動車を表すものとして使用されていたようです。閑散線区の小規模輸送に従事したのちに名古屋鉄道に譲渡、その後国鉄に返還され、「鉄道記念物」に指定されました。

 

そして2019年7月23日、遂に重要文化財に指定。貴重な車両であることはもちろん、保存状態の良さも決め手となったようです。

 

立ち入れるのは扉の周辺のみですが、車内も公開されています。吊り革がちゃんと吊り「革」ですね。

 

 

車窓から見える客車は国鉄標準型の3等客車スハ43、その前には「イゴナナ」ことEF58 157が連結されています。名門EF58一族の中でJRに継承(JR化後に車籍復活)された数少ない機関車です。その前には鉄道省時代の木製電車 モハ1形も展示されています。

 

 

その隣の列にはクモハ52004。なんとなく私鉄チックと言いますか、角ばった車両が多い鉄道省国鉄時代の電車の中で一線を画すデザインとなっています。このモハ52004は1937年に製造されたいわゆる第2次車で、流線形の車体から「流電」の愛称で親しまれていたそうです。

 

もともとは京阪神地区の急行列車に使用することを目的に製造された車両ですが、晩年は飯田線で活躍した実績があり、現在このリニア・鉄道館に保存されているというわけです。保存に際して製造時の姿に復元されたとのことですが、とても鉄道省時代の車両とは思えぬほどに古臭さを感じさせないデザインです。

 

 

クモハ52004の後ろに連結されているのはクモハ12041。形式としてはクモハ12形になるわけですが、このクモハ12041はもともと事業用車であったクモヤ22形をイベント列車用に改造したという、なかなかに変態的な経歴を持っています。主に飯田線で使用されていたそうで、その縁もあってか現在はリニア・鉄道館に収容されたようです。

 

クモハ12041と向い合せになっているのがクハ111-1。国鉄近郊形電車の代表格113系一族のトップナンバーです。ようやく見覚えのある顔が出てきました。113系の登場に先立って大船電車区と静岡運転区に投入された111系。【東京】の幕が泣かせます。

 

サボも【静岡⇔東京】になっています。

 

車内も公開されていました。このあたりになってくるとようやく「懐かしい」って感情が出てきますね。もっとも113系に乗った記憶はほとんどないですが…。

 

 

そして車両展示エリアのセンター(?)に堂々と佇むのがこの車両。

 

国鉄初の振子式車両 クハ381-1です。今でも伯備線の特急「やくも」で活躍している381系ですが、最初に投入されたのは中央本線の特急「しなの」でした。

 

曲線区間の多い線区でのスピードアップは単純に出力を上げるだけではどうにもならない部分があり、曲線区間をいかに速く駆け抜けるかという発想から振子式車両が誕生しました。今日でも多くの車両で採用されており、そのパイオニアである381系は日本の特急列車のスピードアップの立役者と言っていいでしょう。

 

ちなみにこのリニア・鉄道館にはクハ381-1のほか、のちに登場したパノラマグリーン車クロ381-11も展示されていたのですが、N700系の展示開始で屋外から屋内にやって来た117系の玉突きで2019年6月7日に展示を終了。移設や譲渡されることもなく、そのまま解体となってしまったようです。Part1でも書きましたが、博物館という場所はスペースが無限にあるわけではないですから、時には展示終了という判断も必要になってくるのでしょうね…。

 

 

そんなクハ381-1の後ろにはキハ181-1の姿が。晩年はJR四国で活躍していたこともありヘッドマークが【しおかぜ】になっていますが、このキハ181系も初投入されたのは中央本線の特急「しなの」でした。大出力エンジンが最大の特徴で、速度面ではなく圧倒的な加速性能でスピードアップを実現しました。

 

 

さて、これだけでもかなり充実している【車両展示エリア】ですが、最奥部にはさらに大量の車両が並んでいます。

 

 

圧巻です。中間車両や客車は妻面しか見えませんが、たまに車内公開なんかもやっているようです。

 

急行型の代表格165系(クモハ165-108)と、N700系に追われてこの場所にやって来た117系(クハ117-30)。このクハ117-30の位置にクロ381-11が展示されていたようです。

 

ちなみに117系自体も屋外で展示されていた頃はクハ-モハ-クハの3両編成だったのですが、モハ117-59とクハ116-209は解体となってしまったようです。

 

そして目を引くのがサロ165形(サロ165-106)。入換用の中間運転台が付いています。こういうのマジでたまらんですよね。貫通扉が開いているので辛うじて中の様子を見ることもできます。

 

そしてキハ82-73。故障の続発していたキハ81形を改良する形で誕生した、キハ80形一族の救世主的存在です。

 

先頭部のデザイン性が高く評価されており、その洗練された前面形状は後発のキハ181系のほか、JR世代のキハ189系373系にも影響を与えたと言われています。

 

ヘッドマーク紀勢本線の特急【南紀】。車両こそキハ85系に変わりましたが、ヘッドマークのデザインは現在も継承されています。

 

7月から8月にかけて京都鉄道博物館で展示されて話題を呼んだ「花魁車」ことオヤ31形建築限界測定車(オヤ31 12)の姿もあります。リニア・鉄道館では矢羽根を広げた状態で常設展示されています。

早々に本線上から退いたオヤ31 12とは対照的に京都鉄道博物館に展示されたオヤ31 31は今日まで車籍が残っており、その処遇が注目されていましたが、2022年12月6日付のJR西日本プレスリリースでえちごトキめき鉄道への譲渡が発表され、たいへんな話題を呼びました。どのような形での保存になるのかはわかりませんが、とりあえず解体は免れて一安心といったところでしょうか。

 


 

以上、【車両展示エリア】のご紹介でした。次回はその他の展示と、博物館を出てからのお話になります。

 

Part3につづく。

 

2022/11/21 リニア・鉄道館 Part1

前回の記事の続きです。

 


 

金山駅前のホテルで1泊しまして、翌21日。

 

ホテルの窓から名古屋の街並みを。気持ちのいい朝を迎えました。

 

準備を整えて中央線で名古屋駅まで移動。名古屋名物モーニングを堪能しまして、名古屋駅を一気に横断。あおなみ線に飛び乗ります。

 

イメージカラーの「あお」、名古屋の「な」、港の「み」をとって命名された「あおなみ線」。もともとは東海道本線の貨物支線(通称「西名古屋港線」)だったものを複線・高架化した上で客貨共用路線とし、2004年10月より旅客営業を開始しています。

 

もちろん初めての乗車だったのですが、名古屋貨物ターミナルの脇を通過したり、ダイナミックなカーブ区間があったりと、なかなか楽しい路線でした。

 

そんなあおなみ線に揺られること約24分、終点の金城ふ頭駅に到着です。なんだか京葉線にありそうな外観です。この金城ふ頭に居住者は一切いないそうで、改札を出て右に進むと名古屋市国際展示場レゴランド、左に進むとリニア・鉄道館…、といった感じの駅になっています。

 

この日は大半の家族連れが改札を出て右折していきましたが、我々は迷うことなく左折。あおなみ線の高架線を横目に少し歩くと…、

 

右手に大きな建物が見えてきます。

 

初訪問の「リニア・鉄道館」、JR東海鉄道博物館です。奥に見えるのは金城ふ頭と潮見ふ頭を結ぶ名港中央大橋。この外観すら一見の価値があります。晴れてよかった。

 

エントランスホールで入館券を買いまして、いざ入館。

 

エントランスを抜けて最初に現れるのは【シンボル展示エリア】。世界最速を記録した3つの車両をシンボルとして展示しています。

 

左からC62形蒸気機関車、955形新幹線試験電車「300X」、超電導リニアMLX01-1の順。1両ずつ見ていきましょう。

 

まずはC62形蒸気機関車17号機。1948年から1949年にかけて製造された国鉄最大の蒸気機関車です。

 

C62形は全5機が保存されています。京都鉄道博物館に1・2・26号機、JR北海道苗穂工場に3号機、そしてこのリニア・鉄道館に17号機がいるわけですが、中でもこの17号機はC62形の中でも特別な存在となっています。

 

1954年に行われた試験の際に東海道本線木曽川橋梁上にて129km/hを記録。これは狭軌鉄道の蒸気機関車における最速記録です。これこそ17号機が特別な存在たる所以、このC62 17こそが日本の蒸機最速のランナーです。

 

高速運転を実現した巨大な動輪。間近で見るととんでもない迫力です。

 

かつて牽引していた東海道本線の名門特急「つばめ」のヘッドマークも誇らしげに、東海道の要衝 名古屋の地でその偉大な功績を後世に伝えています。

 

 

続いては955形新幹線試験電車、通称「300X」です。「のぞみ」の270km/h営業運転を実現した東海道新幹線の3代目 300系に続く新たな新幹線車両技術の研究のため、1994年に製造されました。旅客営業を一切考慮していない、JR東海の新幹線車両で唯一の完全な試験車となっています(今でこそN700系Sの確認試験車がいますが…)。

 

編成の両端で先頭形状が異なっており、このリニア・鉄道館に保存されているのは「ラウンドウェッジ型」と呼ばれる形状の東京方制御電動車955-6です。

 

もう一方の先頭車は「カスプ型」と呼ばれる形状の955-1で、こちらは滋賀県米原市にある鉄道総合技術研究所風洞技術センターにて保存されています。

 

300系量産試作車の登場が1990年で、営業運転の開始が1992年。その2年後には次世代を見据えた試験車が登場していたというわけです。JR東海高速鉄道システムに対する猛烈な探求心が伺えます。

 

この955形新幹線試験電車は1996年7月26日に東海道新幹線京都~米原間にて国内の新幹線車両最速となる443km/hを記録。世界的に見てもフランスTGV、中国CRHに次ぐ凄まじい記録となっています。

 

300Xの試験の結果は700系へと継承され、東海道新幹線の進化に大いに貢献しました。

 

 

そして一番右に佇む超電導リニアMLX01。個人的に「リニア」と言われるとこの顔が真っ先に思い浮かびます。1996年に製造され、2003年には当時の磁気浮上式車両における世界最速記録である581km/を記録したとんでもない車両です。そしてこの記録を2015年に塗り替えたのが同じく日本の超電導リニアL0系。こちらは603km/hを記録しています。驚異的というほかありません。

 

このMLX01も編成両端で先頭形状が異なっており、リニア・鉄道館に保存されているものは「ダブルカプス型」と呼ばれる形状のMLX01-1です。山梨リニア実験線甲府方先頭車として数々の試験に使用されました。

 

相方の東京方先頭車MLX01-2は「エアロウェッジ型」と呼ばれる先頭形状で、こちらは山梨県立リニア見学センターに保存されています。

 

初期のMLX01の特徴である上下開閉のドアもしっかりと開いた状態で展示してあります。このMLX01と、過去の試験車たちの試験結果をもとに営業運転を見据えた新型車両L0系が誕生し、現在に至るというわけです。

 

MLX01-1は車内も公開されています。通路確保のためか、片側の座席は全て撤去されていますが、実際は2列×2列の構造だったようです。

 

高速鉄道システムの未来を切り拓いた2つの車両。まさにリニア・鉄道館の「シンボル」に相応しい車両です。

 

 

さて、この【シンボル展示エリア】を抜けると、広大な【車両展示エリア】が姿を現します。

 

中でも圧巻なのはこの東海道新幹線歴代車両の4並び。700系と300系を展示している博物館はこのリニア・鉄道館のみです。

 

上からも1枚。「リニア・鉄道館」と言われたらこのアングルが思い浮かびます。

 

ということで右から1両ずつ見ていきましょう。

 

 

まずは「夢の超特急」0系。国内外に多くの保存車が存在していますが、このリニア・鉄道館では4両の0系が保存されています。こちらは1971年に製造された0系21形86号車、こだま用編成の博多方先頭車として活躍した車両です。

 

先頭車以外にもグリーン車0系16形2034号車、食堂車0系36形84号車、2代目ビュッフェ車0系37形2523号車が保存されています。初代ビュッフェ車である0系35形が京都鉄道博物館に保存されているので、違いを見てみるのも面白いかもしれません(もっとも0系37形2523号車は普段は連結面しか見ることができませんが…)。

 

 

そんな0系の隣に佇むのが東海道・山陽新幹線の2代目車両 100系です。

 

0系と比べると保存車両がさほど多くない100系。博物館の展示車両として保存されているものはリニア・鉄道館の2両と京都鉄道博物館の1両のみとなっています。また、0系をはじめとする歴代車両と並んで展示される姿はこのリニア・鉄道館でしか見ることができません。

 

そしてこの100系123形1号車は100系量産車のトップナンバー。X2編成の博多方先頭車として活躍した、たいへんに貴重な車両です。

 

先頭車だけでもたいへんに貴重なのですが、このリニア・鉄道館のすごいところはダブルデッカーの0系168形までも保有しているということ。国内に現存する100系の二階建て車両はこのリニア・鉄道館の100系168形9001号車とJR西日本博多総合車両所100系168形3009号車、100系179形3009号車の3両のみとなっています。

 

つまり、博物館の展示車両として保存されているものは世界でこの1両のみとなっています。加えてこの車両は試作編成のX0編成(のちにX1編成)に組み込まれていた、これまたとてつもなく貴重な車両となっています。

 

ありがたいことに車内も公開されていまして、客席部分には立ち入れないものの、通路から中の様子を眺めることができます。

 

当時のメニューを再現したものも掲出されていました。「食堂車」と言われるとなんとなく洋食をイメージしますが、和風御膳やうなぎの蒲焼きなんてものもあったんですね…。所要時間の短縮と共に姿を消していった新幹線の食堂車。二階からの景色を眺めながら食事を楽しむことができた、夢のような時代があったのですね。

 

 

さて、続いては300系。1990年から1998年にかけて製造されて2012年まで活躍した、東海道新幹線の3代目車両です。「のぞみ」の270km/hを実現した、東海道新幹線高速化の偉大な立役者ですが、保存車両は極めて少なく、このリニア・鉄道館以外ではJR東海の子会社である清掃業者が訓練用に保有しているのみとなっています。

 

この300系322形9001号車は300系の試作車J0編成(のちにJ1編成)の東京方先頭車。前面ガラスや前照灯のガラスの形状が異なるほか、前面台車付近が膨らんだ独特の形状となっており、前面だけ見ても量産車とはかなり違った印象を受けます。

 

かつては300系322形9001号車の隣に量産車の300系323形20号車が展示されており、量産先行車と量産車の違いを一目で見ることができたのですが、2014年に後述する700系723形9001号車に展示場所を譲る形となり、最終的には浜松工場にて解体されたとのことです。博物館という限られたスペース内での展示、時には犠牲となるものが出てしまうのは仕方がないことだと思います。

 

さて、そんな300系323形20号車のスペースに展示されることとなった700系723形9001号車。試作編成C0編成(のちにC1編成)の博多方先頭車です。700系の保存車両は世界にこの1両のみとなっています。

 

1997年から2006年にかけて製造された700系。過去の車両たちが高速化を追求してきた一方で、この700系ではコストダウン・省エネルギーを重視し、JR東海JR西日本の共同開発という形で誕生しました。700系量産先行車登場の1年前にJR西日本山陽新幹線300km/h運転を実現させた500系の量産先行車を世に送り出していたこともあり、速度面でのインパクトはありませんが、非常に高いポテンシャルを持った車両として東海道・山陽新幹線の新しいスタンダードになりました。

 

余談ですが、東の新幹線が早々にLED表示器を導入した一方で、東海道新幹線は700系まで行先方向幕が使用されていました。東海道新幹線と言えばこの表示ですよね。

 

 

ところで、最初に「東海道新幹線歴代車両の4並び」と書きましたが…、

 

実はもう1両いるんです。

 

N700系試作車X0編成です。2019年より新たにリニア・鉄道館の展示車両となったN700系。先頭車783形9001号車、普通車786形9201号車、グリーン車775形9001号車の計3両が展示されています。JR東日本鉄道博物館での展示用にE5系を1両新造しましたが、こちらは2005年から2019年にかけて実際に使用されていた車両です。

 

試作車だから廃車が早かったのかと思いきや、初期のN700系も普通に廃車が出ているという…。東海道新幹線の車両更新の早さにはただただ驚くばかりです。

 

N700系は屋外ということでなかなか1枚の写真に収めるのは難しいですが、東海道新幹線の歴代5形式がしっかりと並んでいます。さすがはJR東海鉄道博物館、新幹線に関する展示のクオリティは圧巻です。

 

 

ちなみに、新幹線電気軌道総合試験車922形26号車も展示されています。幸せの黄色い新幹線「ドクターイエロー」の1世代前の車両です。なんと車内も公開されていまして、シートに座りながら保守作業の映像を観ることができます。

 


 

ということで、今回は【シンボル展示エリア】と【車両展示エリア】の新幹線車両をご紹介しました。次回は【車両展示エリア】の貴重な車両たちのご紹介です。

 

Part2につづく。

 

2022/11/20 名古屋車両区

気付けばもう12月になってしまいました。早い…。

 

さて、先月の下旬に名古屋に行ってきましたので、その時の記事を長々と書いていきます。5部形式くらいになりそうですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 


 

東京を発ったのは11月19日の夜のこと。夜の下り東海道新幹線に乗るという普段あまりしない体験をしつつ、一路名古屋へ。名古屋で近鉄特急に乗り換えまして、一気に伊勢市へ。ビスタカーの階上席、なかなかに快適でした。

 

伊勢市で1泊しまして、翌日は伊勢神宮へ。外宮、内宮、おかげ横丁と巡りまして、再び近鉄特急で名古屋へ。

 

名古屋では手羽先を堪能しまして、再び近鉄に乗って2駅ほど…、

 

…、名古屋車両区にやって来ました。

 

名駅のビル群をバックに名古屋車両区を望める「黄金跨線橋」。鉄道ファンのみならず写真好きの方々の中でも割と有名な場所だと思うのですが、思っていた以上に暗いです!インスタと現実の差を思い知らされました。ただ、新機材の高感度耐性と手振れ補正に助けられまして、三脚なしでもそれなりに撮ることができました。

 

配置車両が気動車のみの名古屋車両区。気動車の強みである柔軟な運用に対応すべく、転車台が現役で稼働しています。

 

転車台の動くところは見られませんでしたが、車両の顔ぶれはなかなかよかったなと思います。新型のHC85系の留置はなく、見渡す限りのキハ85系。さらにはキヤE195系の大先輩たるキヤ97系が2編成も留置されています。素晴らしい。

 

さて、ここから少し歩きまして…、

 

今度は向野橋へ。車両区の奥、ビル群の手前に見えた下路式曲弦プラットトラス橋です。こちらも黄金跨線橋に並ぶ有名撮影地の1つです。

 

当然ですが、こちら側から見ても見渡す限りのキハ85、そしてキヤ97系R2編成。素晴らしい光景です。

 

手前には7両編成のキハ85系

 

一列に並ぶ給油装置と相俟って実に美しい光景です。

 

こちら側にはHC85系の姿がありました。日によって留置位置なんかも変わることでしょうし、また訪ねたいものです。

 

色々撮っているうちに雨が降って来たので撤退。帰りは徒歩で名古屋駅へと向かいました。

 

駅に着くとちょうどしなの22号が到着。そういえばこっち側が本拠地なんですよね…。

 

この日はこれにて撤収しました。つづく。

 

2022/11/12 新幹線リレー号・鉄道博物館

土曜日の撮影分です。

 

この日は友人が鉄道博物館に行くということで同行。今年4回目の訪問となりました。年パスの発売が休止中なのがつくづく悔やまれます。

 

土曜日ということもあって10時入館のチケットは完売でしたが、11時以降は空きがあったので今回は11時入館を選択。時間調整も兼ねて大宮から歩いて鉄道博物館に向かいますが、その前に…、

 

回9552M 185系C1編成 大宮

 

せっかくなので撮影してきました。上越新幹線開業40周年記念「新幹線リレー号」です。

 

1982年の東北新幹線大宮~盛岡間の暫定開業から1985年の東北・上越新幹線上野開業までの間、大宮~上野間の輸送を受け持つ形で運転されてきた「新幹線リレー号」。「新幹線連絡専用」の文字通り(基本的には)新幹線利用者のみ乗車可能で、運転時刻も新幹線接続に特化したものとなっていました。185系200番台を2編成併結した14両編成で運転され、この度復活した200番台登場時の塗装が「リレー号色」と称されることからもわかるように、同形式の代表的な運用の1つとして知られています。

 

1985年に廃止となった新幹線リレー号ですが、東北新幹線の周年記念イベント等で何度か復活運転が行われ、直近では2022年7月2日に東北新幹線開業40周年記念および北東北観光キャンペーンの一環で上野→大宮間の復活運転が行われました。

 

2002年に運転された「あおばリレー号」(湘南ブロック+Express185色・臨時幕)を含めるとこれで4回目となる復活運転ですが、直近2回はストライプ塗装の車両での運転だったため、いわゆるリレー号色による復活運転は今回が初となります。1985年3月の200番台一部編成の田町転属に先行してストライプ塗装になった車両が新幹線リレー号に充当されたこともあったようですが、やはり新幹線リレー号と言えばこの塗装です。

 

今回の復活運転は往復運転となり、往路は新潟発・大宮行きの「なつかしのあさひ号」からの接続で大宮→上野間、復路は大宮発・新潟行きの「上越新幹線開業40周年記念号」への接続で上野→大宮間を走行しました。

 

9552M 新幹線リレー号  185系C1編成 大宮

 

往路の大宮駅では大宮駅長による出発合図が行われました。これがリレー号塗装となったC1編成最初の本線走行。今後はどんな姿を見せてくれるでしょうか。

 

さて、リレー号は追いかけずにこのまま鉄道博物館へ。

 

まずはEF58 61。前回訪問時と同様に日章旗と紋章を取り付けた状態でしたが…、

 

1エンド側の「停止位置表示板」が展開されていました。

 

通常の列車は車両の先端を停止位置目標に合わせて停車しますが、お召列車運転の際はホームに敷かれた赤い絨毯と扉の位置を合わせるために、この停止位置表示板と駅の停止目標を寸分のズレなく合わせて停車させる必要があります。

 

[j train Vol.72]にEF81 81牽引のお召列車の正機関士を務めた方のインタビューが掲載されていましたが、こんなにも小さな表示板を停止目標にピタリと合わせ、かつ衝動なく停車させなければならないわけですから、相当なプレッシャーのもとでの乗務だったのでしょうね…。

 

 

あとはEF58 61とマイテ39に挟まれたDT46を眺めたり…、

 

10数年ぶりにジオラマを見たりしてきました。貨物ターミナル脇にカシオペアクルーズが停まっていたり…、

 

夜になるとキヤ97が走ってきたり、凝っていて面白かったです。

 

 

今回は閉館まで滞在せずに撤収。夜はアニメ『中二病でも恋がしたい!』10th記念イベント「極東魔術昼寝結社の夏の秋の祝祭」に参加してきました。懐かしの映像やライブパートで感極まった一方、「10年経ったんか…」という軽い絶望も味わうことができました。

 

久々にオタクした!!って感じの1日でした。楽しかった!!!

 

【祝 鉄道開業150年】2022/10/31 鉄道博物館

2022年10月30日、埼玉県さいたま市鉄道博物館にてEF58形61号電気機関車の常設展示が開始されました。2018年7月5日の南館開館時以来の展示車両追加となり、これで鉄道博物館の展示車両数は42両となりました。

 

9月19日に鉄道博物館に搬入されたEF58 61。3日後の22日に白いシートで覆われた姿を見に行きましたが、とうとうお披露目の時がやって来たのでありました。搬入当初は「落ち着いた頃に見に行けばいいか…」なんて思っていましたが、展示初日の様子を見て居ても立っても居られなくなり、翌31日に早速訪問と相成りました。

 


 

↓前回の訪問時の記事はこちら↓

 

om08amagi.hatenablog.com

 


 

今年3回目となる鉄道博物館の訪問。EF58 61の常設展示開始2日目ということで混んでいるかな…、と思いましたが、やはりそこは平日ということで直前でもチケットを購入することができました。大宮のローソンで発券してニューシャトルに乗り込み、エントランスへ…。

 

 

エントランス正面に堂々と鎮座していまいした。「ロイヤルエンジン」ことEF58形61号電気機関車です。

 

パンタグラフ上昇、前照灯点灯、1エンド側には日章旗と桐と動輪の紋章が取り付けられました。

 

日章旗と紋章は実際にお召列車で使用されたものとのことで、機関車そのものは言うまでもなく、この装飾も一見の価値があるかと思います。

 

EF58 61が最後に一般公開された2018年の「東京総合車両センター 夏休みフェア2018」でも同様の装飾がなされましたが、諸々の制約でじっくりと眺めることはできませんでした。そんなこともあって、間近で心ゆくまで眺めていられるというのはなんとも贅沢だなと思います。

 

続いて側面。ナンバー・飾り帯・「日立」の文字、全てが美しく輝いています。

 

そして【田】の区名札と御召札。注目された区名札は、1986年11月から籍を置いている田端運転所(現・尾久車両センター)のものとなりました。そして、その横に取り付けられている乗務員札入れが、この機関車が特別な機関車であることを示しています。

 

2Fからは屋根上を見ることができます。博物館に収容されたからこそ見ることのできる光景です。

 

周辺の景色と共に。平日ということもあって特に混雑も見られず、のんびりと眺めることができました。

 

ところで、この日は211系A33編成の構内試運転が行われていまして、かつての東海道線を思わせるようなコラボが実現しました。展示場所が窓のすぐそばということで、今後も様々な車両とのコラボが楽しめるのではないかなと思います。

 

また、外からの日差しが当たるので、61号機の特徴の1つである「ため色」の車体色の色調変化がわかりやすくなっています。他方で車体の色褪せが懸念されるところですが、61号機の収容に際して窓ガラスに遮光フィルムを貼っているとのことで、どうやらその心配はなさそうです。

 

61号機の収容された線路の延長線上には、こちらもたいへん貴重なマイテ39 11が展示されていまして、まるで機回し作業中のような光景を写真に収めることができました。

 

さて、夕方になりまして…、

 

外が暗くなり始めると、61号機がオレンジ色の館内照明に照らされ、その美しさが一層際立ちます。車体色もまるで別物かのよう。これぞ「ため色」マジック。

 

 

時間帯によって様々な姿が楽しめるところが素晴らしいですね。

 

いつまでも眺めていたいところでしたが、閉館時間となったので撤収。また近いうちに見に行こうと思います。いつでも見に行けるようになったわけですから。

 

 

さて、2008年4月に休車となったEF58形61号電気機関車。それから14年半の歳月が経過しましたが、その間に公に姿を現したのは僅か3回。私自身も1回しかその姿を見たことがありませんでした。そんな幻のような機関車が鉄道博物館に収容され、いつでも会いに行ける存在になったということ、今でも少し不思議な感覚を覚えます。

 

博物館収容に複雑な思いを抱いている方もいらっしゃるという話も耳にしましたが、鉄道博物館という鉄道の歴史を後世に伝えていく重要な施設のエントランスに展示されるということは、鉄道車両にとってこの上なく名誉なことではないかと思います。

 

この特別な機関車の常設展示に携わった全ての方々に敬意を表します。