れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

惜別 EF65-1107

昨日、EF64-1053に牽引されて長野へと旅立ったEF65-1107。ふと写真のフォルダを見返してみると1107号機との思い出が蘇ってきて、惜別記事を書かずにはいられなくなってしまいました。ということで、今回は1107号機について色々と書いていきたいと思います。

1978年5月25日、EF65-1107は東京機関区に新製配置されました。その後、1985年の新鶴見転属を経て1986年11月1日に現在の田端機関区に転属しました。以来29年間に渡り田端機関区の主力として様々な場面で活躍してきました。

そんなEF65-1107の37年間の歴史の中で自分が見てきたのは晩年中の晩年に過ぎません。それでも、いくら晩年とは言えど、かつて華のブルトレ牽引機として活躍してきた機関車が現役で活躍する姿が見られたことは幸せなことだったと思います。

ということで、1107号機との思い出の写真を何枚か貼っていこうと思います。

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初めて1107号機を撮ったのがこの日の高崎操工臨。今では工臨ばっかり撮っていまますが、この当時は工臨の運転形態やら何やら全くわからず、見よう見まねで撮っていたのを思い出します。

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以来、工臨では何度も撮影する機会がありました。こちらは去年10月の新津工臨返空八高線DD51の客レがあった日でした。送り込みだけ撮って本運転は捨てて工臨返空を撮る、という思い切った行程を組んだわけですが、いま思うと「よくやった」って感じですねw

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こちらは今年3月の新津工臨。1001区間を撮りたかったのでPF区間南流山でパパっと済ませて高崎に飛んだわけですが、高崎線を下るにつれて雲が抜けていってすごく悔しい思いをした記憶があります・・・w

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1107号機の工臨で印象に残ってる工臨の1つにこの八王子工臨があります。釜次位のチチキチが面白い積み方をしていたやつです。この日は583系が横浜に来ていた日でしたが、思い切って捨てて正解だったのかなーと今になって思います。

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こちらもかなり強く印象に残っている工臨です。八王子(中野)工臨というちょっと珍しい行き先なのもさることながら、なんとロンチキ2段積み!でした。夜発送でロンチキ2段を撮ったのは初めてだったのですごく感動したのを今でも覚えています。

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追いかけて南流山。1107号機が夜発送を牽いた時に限って緩行が遅れたりすることが多かったので南流山でのまとものカットはこれ1枚だけでした。

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1107号機との思い出で一番印象に残ってるのはこの黒磯工臨でしょうか。スジも工臨の現在地もわからず諦めようとした矢先にやって来た1107号機牽引の黒磯ロンチキ。粘って粘って勝ち取った小山Bでした。

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工臨以外にも1107号機の活躍の場はたくさんありました。こちらは記憶に新しい上野・東京ラインのEF65重単試運転。先に秋田へと旅立った1106号機とタッグを組んでUTLの急勾配に挑みました。この組み合わせ、もしかして何か意図があったのかもしれませんね・・・。

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カシオペアの検査明けの試運転を牽引したこともありました。カシオペアのフル編成を従えて走る1107号機の姿は最高にかっこよかったです。やはりPFには客車を牽く姿がよく似合います。

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そして1107号機の晩年の活躍を語る上で欠かせないのがこの黒磯訓練。客車を使用して行われた最後の黒磯訓練の先頭に立ったのが1107号機でした。ある人がこう言いました。「ブルトレ牽引機だった1107号機への田端からの最後のプレゼントだ」と。きっとそうだったのだと自分も思います。

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そんな1107号機を最後に撮影したのが今年の6月の東高島工臨。この日も安定の積載でした。

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緩行が遅れて南流山の入線が間に合わず、仕方なく後打ちだけ。まさかこれが最後のカットになるとは思いもしませんでした。


華々しいブルトレ牽引時代に比べれば、自分が見てきた晩年に1107号機がこなしてきた仕業は地味なものばかりでした。それでも晩年に24系やE26系を牽引する機会に恵まれ、最後の最後まで綺麗な状態でいられたのは、やはり田端機関区の愛情あってこそなのだと思います。

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1106号機が旅立った時も同じことを書きました。1107号機の晩年はほぼ工臨に徹していたと言っていいと思います。ブルトレなどに比べれば圧倒的に地味な役割です。しかし、鉄道にとってはなくてはならない存在であることは言うまでもありません。1107号機が運んだレールは、今日もどこかで鉄道の安全運転を支えていることでしょう。


最後に、37年間本当にお疲れ様でした。さよなら。