「ゲッパ」の愛称で親しまれてきたこの機関車の最大の特徴はこのド派手な塗装。直流機関車なのに赤色に塗装された車体、側面は「EF65」の文字を大胆に配したデザインになっています。
1978年9月27日に新製され、新鶴見機関区に配置された1118号機。新製時は他の釜と同様に特急色を纏っていました。転機が訪れたのは1997年9月。ジョイフルトレイン「スーパーエクスプレスレインボー」の専用機、EF65-1019の老朽化に伴い2代目スーパーエクスプレスレインボー専用機に抜擢され、この塗装を纏うことになりました。
その数年後にスーパーエクスプレスレインボーは廃車となりましたが、塗装が変わることはなく、相方のEF81-95と共に田端機関区で活躍してきました。
自分が見てきた1118号機の姿は晩年中の晩年に過ぎません。ましてや本来の役目を終えた時点での姿しか見ることができませんでした。それでもゲッパは自分に色々な思い出を残してくれました。
ということで、今回はゲッパとの思い出を振り返っていきたいと思います。
初めてゲッパに出会ったのは2012年の夏。EL&SL碓氷のEL区間の牽引機としての姿が自分が初めて見た1118号機の姿でした。当時は鉄道を「撮る」のではなくどちらかというと「見る」ものとして捉えていた感があったなーと今になって思います。
それから受験でしばらく撮り鉄から遠ざかり、次にゲッパに出会ったのは1年以上先のことでした。
3回目の遭遇は真岡のC11のS回の据付け。これが最初で最後のS回カットになりました(パンタ上がってないけど・・・)。
この年には24系を牽くシーンも見られました。24系との組み合わせはこれが最初で最後。駅先で妥協するべきじゃなかったですね。
そして2015年、自分は工臨中心のスタイルへと移行していきました。
そして初めて手を出した1845スジの夜発送はゲッパ牽引の川崎工臨でした。
そして初めて手を出した東高島分割である小田原工臨。チキ6000の2段積み、これは行ってよかったなぁと思います。
そしてかなり異例のパターンとなった今年4月の郡山工臨の先頭にも立ちました。東北本線の下り構図でのロンチキはものすごく新鮮だったのを覚えています。時期的に桜との共演も見られました。チラッとしか写ってないですけどねw
前出しされに決まってるのに雀宮まで追っかけたりしてましたねw
そしてこの月の東高島工臨も担当。そういえば夕方に虹が出ていましたね、この日。それにしても疲れていたとはいえよく府中本町1発で勝負しようと思ったなーと(((
金町で被られたのも今ではいい思い出ですw 8月の高崎工臨です。
実はゲッパ×ロンチキのコンビを撮ったのはこれが最後。当時は落ちるなんて思ってもいなかっただけに、「またゲッパかよーw」なんて言ってたんだと思います。
昼発送最後のカットはこの八王子工臨。きっちり晴れたし、チキの形式も揃っているし、最後に相応しいカットになったと思います。
そして最後のカットがこの宇都宮タ工臨。この日も馬橋47分停コース。積載も悲惨でしたねw
こんな感じでこれからもゲッパを撮り続けていく・・・、はずでした。
しかし2015年10月17日。前日に高崎操工臨を牽いたゲッパは単機で田端へと戻っている途中、突然の故障に見舞われます。自走不能となったゲッパは後ろから5078レに押してもらい北本中線へ。そこから先はEF81-133に牽引されて田端へ戻りました。
どうせ修理して復帰するだろうと思っていました。しかし、それ以降ゲッパが動くことはありませんでした。
当初は1105~7号機を落とすつもりだった田端。実は検査期限的に見ると1105号機より1118号機の方が先が短かったのです。しかし田端は1105号機を落とす、という判断を下しました。田端は本当にゲッパが大好きだったのでしょうね・・・。
結局1105号機はゲッパの故障により奇跡の復活。運命って不思議なものですね。
さて、ゲッパとの思い出を振り返ってきました。晩年のゲッパはほぼ工臨に徹していたと言っていいと思います。ジョイフルトレイン専用機として活躍していた頃に比べれば地味な役割でしたが、鉄の道の安全に大いに貢献したことは言うまでもありません。自分がこの機関車を初めて見た時にはもう本来の役目を終えた状態だったと言ってもいいでしょう。しかし、かつて「ジョイフルトレイン専用機」という華々しい称号を背負い、スター的存在だった機関車の現役の姿を見られたことを誇りに思います。例えそれが本来の役目じゃなかったとしても・・・。
最後に、37年間本当にお疲れ様でした。
さよなら、ゲッパ。