れーるノート

首都圏のレール輸送といずっぱこ

変革185 Part3

暇潰し企画第4弾!前回の続きです。

 


 

前回は、グリーン車連結位置変更と方向転換に伴い一時的に運用を離れたOM編成が運用復帰するまでの過程を見てきました。一応ざっくりとまとめておくと、

 

・OM05とOM07は改正前に組換えと方向転換を済ませて改正前日から運用入り

・OM01から順番に組換え・方向転換を行い順次運用復帰

・ただしOM03は入場中

・OM編成が東海道線にも進出

 

といったところでした。

 

今回の主役はOM編成の運用復帰までの「つなぎ」を務めたB編成。定期運用を離れたB編成は、新たな用途のために順次大宮総合車両センターに入場していくことになります。

 


 

 4.B編成の再出発

 

OM編成の組換え・方向転換が進むにつれて、徐々に定期運用を離れるB編成が現れ始めます。比較的早い段階で離脱したのがB6編成、次いでB4編成、B3編成…、といった感じで、改正直後はB編成の牙城であった7連運用も、4月の下旬にもなるとOM編成が半数以上を占めるという日が目立つようになってきました。

 

そんな中で、運用を離れたB編成には新たな使命が与えられました。それが「波動輸送」です。

 

この当時、波動輸送にあたっていたのは首都圏の各地に所属していた183・9系でした。せっかくなので、ちょっと配置を振り返ってみたいと思います。

 

JR東日本管内の183・9系(2012~2013年頃)

 

田町車両センター(東チタ):34両 → 車両配置なし(2013.3.16~)

10両:2本(H101・H102)

8両:1本(H81)

6両:1本(H61)

 

※2013.3.16~ 全車両大宮総合車両センターへ転属

 

大宮総合車両センター宮オオ):18両 → 52両(2013.3.16~)

6両:3本(OM101~OM103)

 

※2013.3.16~ 田町車編入

 

幕張車両センター(千マリ):12両

6両:2本(マリ31・マリ32)

 

豊田車両センター:6両

6両:1本(M50)

 

長野車両センター:18両

6両:3本(N101~N103)

 

こんな感じの配置でした。懐かしい顔ぶれですね…。

 

 

さて、これらの183・9系を185系で置き換えるわけですが、性能面での制約等もありまして、完全な置き換えとまではいきませんでした(富士急がかなり嫌っているという噂もありましたが果たして…?)。

 

ところで、なぜB編成が波動用に回されたのか疑問に思われる方もいらっしゃると思います。確かにB編成を定期運用に残して、OM編成を波動用に回せば面倒な組換え作業をしなくて済みます。しかしながら、B編成は1989年頃にパンタグラフ中央東線狭小トンネル対応のPS24形に換装していたり、臨時特急「はまかいじ」で京浜東北線を通るにあたってB3~5編成にD-ATCを搭載したりと、改造なしで入線できる線区がOM編成より圧倒的に多いのです。このような事情で、B編成が波動用に回されることとなったと推測されます。

 

さて、波動用に転用するにあたって色々とやらなければならないことがありますので、定期運用を離れたB編成は順次大宮総合車両センターへと入場していきます。機器類の改造はもちろん、パッと見で一番目立つのはグリーン車を引っこ抜く、いわゆるモノクラス化です(今でこそ半室グリーンを残したまま波動用やっている奴がいますが…)。

 

最初に動きを見せたのはB3編成でした。定期運用を離脱したB3編成は、5月上旬にサロ185-205を引っこ抜いて大宮総合車両センターを出場。B編成初のモノクラス編成となりました。こうして、現代へとつながるB編成の波動輸送用への転用計画が動き始めたのでした。

 


 

5.悲運のOM03編成

 

B3編成のモノクラスになる少し前、大宮総合車両センターで衝撃的な光景が繰り広げられていました。

 

ダイヤ改正前日にOM02編成と共に田町へと疎開したOM03編成。草津号運行開始50周年を記念して、80系風の湘南色に塗られた編成で、共通運用化で遂に「湘南ライナー」「踊り子」に登板すると(個人的に)かなり期待を寄せていました。

 

そんなOM03編成は、他の田町疎開組より一足早い3月25日に大宮総合車両センターに入場。ささっとグリーン車を組み替えて方向転換に向かうのかと思いきや、グリーン車を工場の外に放置したまま車両センター内に引きこもるという状態がしばらく続きました。それから3週間ほど経った4月17日、衝撃的な光景がTwitter掲示板に投稿されます。実際の写真は持っていないので言葉で説明すると、「湘南ブロックに塗り替えられたOM03編成が、80系風塗装のままのグリーン車を組み込んで工場内を移動している」光景です。さすがに我が目を疑いました。そして5月2日に、「80系風塗装のグリーン車を挟んだ湘南ブロック」という、185系史上最強クラスの珍編成で構内試運転を行い、最終的にはグリーン車を外した状態で大宮総合車両センターを出場しました。

 

OM編成なのにEXPRESS色ではなく湘南ブロックになったこと、そしてグリーン車は塗り替えられなかったこと。これらのことから、OM03編成が波動用に回されることは明白でした。ただ、なぜ廃車にする予定のグリーン車を組み込んで試運転をやったのかは未だに謎です…。

 

OM編成が定期用、B編成が波動用という形になるはずが、なぜかOM編成で1本だけ波動用に回されてしまったOM03編成。当時あれこれ理由を考えたんですが、OM03編成とトレードで定期運用に残ることになったB1編成のサロ185-203の窓の一部が固定窓になっている(→お召列車の予備編成に使える)ことから残す必要があったため、たまたま検査時期の被ったOM03編成を波動用に回すことになったのかな?という解釈に落ち着きました。ただ、B1編成は7連運用が大幅に削減された2014年改正のあと真っ先に編成丸ごと廃車になっていますし、この説が本当に正しいのかと言われると割と疑問です。あと気になるのが、廃車を控えたサロ185-206の床下がやたら綺麗なこと。廃車するならこんな綺麗にする必要はないと思うのですが、ひょっとして途中で計画変更があったりしたのでしょうか。謎が謎を呼ぶOM03編成波動輸送転用騒動、真相は如何に。

 

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塗り替えられることなく廃車となったサロ185-206。方向転換をしていないので、他のサロと向きが違うのはもちろんですが、他のサロと比べると床下がやたらと綺麗なのが気になるところです。

 

ということで、80系風塗装のまま「踊り子」に入るという夢も、急行 伊豆を彷彿とさせる(?)ストライプのC1編成との併結も全て幻に終わってしまったのでした。湘南ブロックに塗り替えられて姿を現した4月17日は、奇しくも国鉄特急色のOM08編成が入場し、グリーン車の組換えを行った日でした。明暗がくっきり分かれた「なんちゃって塗装」の2編成。思えば、OM03編成ってなぜか昔からツイてない編成でした。草津号運行開始50周年という大役こそ果たしたものの、その後の2011年3月26日に企画されていた臨時特急「上州踊り子」「伊豆の踊り子」、翌日の特急「いでゆ」は震災の影響で運休に。1年後の2012年3月3日に再び「上州踊り子」が設定されるも、OM08編成にその役目を奪われ…。他のOM編成が踊り子幕で東海道を爆走する中、1本だけ波動輸送に回され…。まあ、ツイてないというより東海道にとことん縁のない編成でした。

 

そんなOM03編成に、更なる衝撃的な展開が待っているとは、この時思いもしなかったのでした。

 


 

 6.首都圏波動輸送体系の完成

 

話をB編成の波動輸送転用に戻しましょう。B3編成のモノクラス化のあと、今度はB7編成が大宮総合車両センターに入場。サロ185-216を引っこ抜いて6両化…、と思いきや、モハ184-231とモハ185-231も引っこ抜いて4両編成になり、5月の中旬に出場しました。これに続いて入場したのがB2編成。こちらはサロ185-204を引っこ抜いた後、B7編成から引っこ抜かれたモハ184-231とモハ185-231を組み込んで8両編成になり、6月上旬に出場。これで185系は4両・5両・6両・7両・8両・10両という、なんともバリエーション豊かな形式へと変貌を遂げました。

 

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新生B7編成の中間車であるモハ184-232とモハ185-232。2013年8月に撮影した写真なので、編成組換え時ではなく、先頭車が改造を受けている時の様子だと思われます。

 

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B7編成のモハ184-231とモハ185-231を組み込んだ新生B2編成の中間車。こちらも2013年8月に撮影した写真なので、同じく先頭車が改造を受けている時のものと思われます。工場での細かい改造内容まではよくわからないのですが、当時の目撃や残っている写真から察するに、とりあえず先に編成だけ組み替えて、諸々の改造は後で行った、といったところでしょう。

 

B2編成の出場の直後、今度はB6編成がサロ185-212を引っこ抜いて6両化して出場。少し間が開いて、6月下旬にB4編成がサロ185-207を引っこ抜いて6両化し出場。これで6連はOM03編成を含めて4本となりました。

 

公式発表のない(そもそもこんなことでプレスは出ませんが)まま水面下で進められていた185系の波動輸送転用計画ですが、B2編成が出場する少し前、2013年5月17日に決定打とも言える情報がJR東日本から発表されました。『夏の増発列車のお知らせ』に、遂に「185系6両」の文字が記載されたのです。臨時特急 草津93・94号のほか、臨時特急 はまかいじも6両編成になるとのこと。ここから波動用の185系は徐々に活躍の場を広げていきます。

 

さて、残るB編成はB1とB5。B1編成は前述の通り、OM03とトレードする形で定期運用組に残留。唯一の7連B編成として、2014年3月改正まで走り続けました。

 

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サロが固定窓だったからなのか、定期運用組に残留することとなったB1編成。OM編成と併結するとOM編成側の幕がバグったりしていたのも、今ではいい思い出です。

 

ということで、最後にモノクラス化されたのはB5編成でした。というのも、春の増発列車の運転期間である6月30日までは「はまかいじ」が7両編成での運転だったため、D-ATC対応編成を7両のまま残しておく必要があったのです。翌週の7月6日からは6両編成での運転という強行スケジュールだったため、ひとまずはB3編成が初の6両「はまかいじ」に登板。B5編成は、7月の中旬にサロ185-210を引っこ抜いて6両となり、大宮総合車両センターを出場しました。

 

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サロが組み込まれていた頃の「はまかいじ」(2013.5.26)。

 

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こちらは引っこ抜かれたサロ185たち。2013年7月23日にサロ185-204・205・207・216が、10月8日に残るサロ206・210・212が、それぞれ長岡車両センターEF64に牽引されて長野へと輸送され、廃車になっています。この時点(2013.6.9)ではサロ185-207の代わりにOM03編成のサロ185-206が連結されているので、このまま長野送りかと思われましたが…、

 

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サロ4両が長野に送られる3日前の7月20日、なぜか編成が組み替えられ、サロ185-206はB7編成のモハ184-232・モハ185-232に連結された状態で留置。結局このサロは10月の長野配給まで生き延びることになります。潰すのを勿体ぶったようにしか見えないこの謎の組換え。一体なんだったんでしょう…。

 

 

さて、これで8連1本、6連5本、4連2本という体制になった波動用の185系。4連って1本しか出てきてないような…、と思うかもしれませんが、実はB編成の転用が始まる前、もっと言うとダイヤ改正の前には既に4連が1本用意されていたのです。その編成こそが、Part1の序盤にしれっと登場したC7編成。サハ185-7の廃車は、実は185系波動輸送転用の第一歩だったのでした。

 

話がだいぶ散らかってしまいましたので、ここでちょっとまとめておきましょう。

 

大宮総合車両センター宮オオ):219両

10両:8本(A1~A8)

7両:9本(B1・OM01・OM02・OM04~OM09)

5両:6本(C1~C6)

 

8両:1本(B2)

6両:5本(B3~B6・OM03)

4両:2本(B7・C7)

 

※2013.10.9~

 

 

これで185系の波動輸送転用に向けての組換えは完了となりました。4両の2本は単独で運用されることもありますが、B7編成にB4編成、C7編成にB5編成とを併結して、最大10両編成を組成することも可能となりました。10両編成を組むときは基本的にこの組み合わせで、他の6両編成が使用される場面は最近まであまり見られませんでした(たまにあったみたいですが)。

 

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0番台で唯一波動用に転用されたC7編成。6両と併結することで最大10両まで組成することが可能になりました。ちなみに、183系時代に見られた6+6の組成は未だに実現していません。

 

185系の波動輸送進出に伴い、183・9系にも動きが見られ始めました。

 

大宮総合車両センター宮オオ

OM101(6両)→ 2014.1.20 長野へ回送(廃車)

OM102(6両)→ 2013.11.20 長野へ回送(廃車)

OM103(6両)→ 2013.7.30 長野へ回送・長野車両センター転属(→N104)

H61(6両)→ 2013.8.21 長野へ回送(廃車)

H81(8両)→ 2013.9.24 長野へ回送・クハ2両のみ豊田車両センター転属(→M51)

H101(10両) → 2013.9.25 長野へ回送・モハ4両が豊田車両センター転属(→M51)

H102(10両)→ 2013.8.29 長野へ回送・6両に短縮の上で豊田車両センター転属(→M52)

 

幕張車両センター(千マリ)

マリ31(6両)→ 2013.12.23 団体列車兼廃車回送で長野へ(廃車)

マリ32(6両)→ 2013.12.15 団体列車兼廃車回送で長野へ(廃車)

 

※長野車両センターは1編成編入(OM103→N104)、豊田車両センターは2編成編入(H81+H101→M51・H102→M52)で、廃車はなし。

 

 

このように、廃車を免れた183・9系は豊田と長野に集約され、中央線を中心に当面の間は波動輸送に従事し続けることとなりました。

 

 

これにて首都圏の波動輸送体系は完成。国鉄型が波動輸送を担うのはこれが最後となるわけですが、この体制も意外とあっさりと崩壊を迎えるのでした。

 


 

7.シンパ事件

 

波動輸送体系は完成したのですが、この事件は触れておかなければなりません。

 

80系風の湘南色から突如湘南ブロックに塗り替えられて世間をざわつかせたOM03編成。それから6ヶ月が経った10月、それをさらに凌ぐ衝撃的な姿となって我々の前に姿を現したのでした。

 

遠い昔にPS24形に換装したB編成とは異なり、未だ狭小トンネル未対応のPS16J形を搭載していたOM編成。波動輸送転用にあたり、OM03編成も中央東線の狭小トンネルに対応したパンタグラフに交換することになったわけですが…、

 

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取り付けられたパンタグラフはまさかのPS33形、そう、シングルアームだったのです。かつては異端な塗装で注目を集めていたOM03編成ですが、この改造で185系史上最強の異端編成となってしまったのでした。

 

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シングルアームパンタは雪に強いと言われていることもあり、上越線の石打まで走る冬季の臨時快速「シーハイル上越」はOM03が専属編成となりました。もちろん中央東線への入線も実現しています。

 

余談ですが、OM03編成って実は185系で唯一基本塗装(ストライプ・リレー号色・EXPRESS色・湘南ブロック)を全て纏ったことのある編成だったりするのです。それでいて今もバリバリ現役、愛すべき異端編成ですね。

 


 

ということで、今回はB編成を中心に首都圏波動輸送体系が構築されるまでの流れを見てきました。途中183・9系の話とか混ぜちゃったので、だいぶごちゃごちゃになってしまいましたね。最後までお読みいただいた方、本当にありがとうございます…。

 

次回は、2014年3月改正の話を書いていこうと思います。現在の体制へとつながるこの改正、185系の崩壊が一気に加速し始めます。ダラダラと延ばしても仕方ないので、次で完結させられるように頑張ります…。

 

つづく